場末の居酒屋で、とことん呑んでみたい気分である。見知らぬ異郷で、土地の方言を聞きながら、取り留めのない話に耳を傾けたい。そこにひょいと、流しがギターを抱えて入ってくる。「いいところに来たな、おにいさん。今宵は“ちあきなおみ”でいこう。取りあえず、“喝采”からやってくれ」。ご祝儀だといって、ポケットから5千円札を取り出す。ところが、“黄昏のビギン”“劇場”と続き、“紅とんぼ”まで来ると、涙がこらえ切れなくなる。「おにいさん、ありがとう。もういいよ」「えっ、もういいんですか」。「おかあちゃん、勘定だ」。そんなやり取りがあって、ふらふらと漁火に誘われるように海に向かって歩いていく。涙を拭うことなく、にじんだ眼で冥い海をいつまでも眺めている。
寅さんの導入部分となったが、いま聞きたい、見てみたいのは“ちあきなおみ”だろう。昭和22年9月17日の生まれだから、61歳を迎えている。歌うのを止めたのが平成4年9月11日。夫の郷英治が55歳で逝った日である。16年間、封印をしてしまった彼女の奥深くに去来するものは何か。「ちあきなおみ 喝采、蘇る」(石田伸也著 徳間書店)を飛ばし読みした。最近は、本屋の片隅に、返品寸前で肩身が狭そうな本に眼がいってしまう。
テコでも動かない、一途な女の頑なさ、なのかどうか。美川憲一の「あなた、自分の才能に気付いていないのよ」も当たっているし、写真家の井ノ元浩二が「あれだけキャリアがあるのに、自分が撮られるのに慣れていなくて、いつも『どうしよう』と逃げ回るような感じでした」というのもよくわかる。下積みが長かった。橋幸夫やこまどり姉妹の前座をこなし、演歌の流し、キャバレー出演で何とかしのぎ、22歳での「雨に濡れた慕情」でやっとのデビュー。「四つのお願い」「X+Y=LOVE」のヒットでようやく紅白出場を果たし、昭和47年「喝采」でのレコード大賞につながる。いつも誰かのために歌っている。母親の期待に応える、生活を支える、作曲家・作詞家の情熱に応える、夫でありマネージャーである郷のために、それだから歌えた。誰もいなくなれば、歌わなくてもいいということになる。
「実はそんなに深い理由などないのではないか」というのが友川カズキ。「夜へ急ぐ人」は、郷とちあきが友川に頼み、作詞作曲してもらった。昭和52年の紅白でちあきは自分で希望してこれを歌うが、司会から「何とも気持ちの悪い歌ですね」といわれ、語り草になったもの。歌いたい歌と、ヒットを狙って歌わされる歌の落差に戸惑っているとも指摘する。事務所とのトラブル、コロムビアと結婚を巡っての契約解除、ビクター、テイチクへの移籍にからむ人間不信などなどがあるが、それは40年以上も芸能界にいれば、誰しも避けられないこと。真相はわからない。
問題は、誰が天岩戸から、彼女を引っ張り出すことができるのか、だ。執念のプロデューサーの出現が待たれる。もし実現するのなら、一人芝居ミュージカル「LADY DAY」をやってほしい。伝説のジャズシンガー・ビリーホリディを演じたもので、これを観た観客の誰もが「歴史的な場面に立ち会った」とまでいって絶賛している。
さて、酒や旅に逃げても何にも解決しないことはわかっている。「明日の100人より、きょうの一人を助ける」というのも、庭の草取りの方がはるかに実効的というのもよくわかる。さりながら、テロとの闘いとしてイラク、アフガニスタンに3兆ドルの戦費を投入するアメリカが、サブプライムローンの破綻から世界不況の引き金を引いてしまう愚かさ。そしてまた、懲りずに麻生太郎を選出しようとする自民党総裁選の愚かさである。
きょうでお終い 店じまい 新宿駅裏 紅とんぼ・・・・・。これも糖尿病で苦しむ、わが畏友ドンホセのギターで、聞きたいものである。
紅とんぼ