北欧紀行ヘルシンキ

機中から見るスカンジナビア半島は森と湖がモザイク状に並び、眺めていても飽きることはない。ストックホルムからほぼ1時間、待望のヘルシンキ入り。最後の訪問地である。やや疲れは残るが、体調は頗るいい。ゆっくりと朝食を摂っているからだ。海外旅行は、朝ゆったりのスケジュールと決めている。
 さて、あの交響詩に涙を流したのか、との問い合わせだ。確かに涙がこみ上げてきたが、そこはホールではなく、レンタカーの中。チケット確保は間違いであったと、告げられた時から意気消沈していた。気をつかってくれる同行者がCDを求めてくれ、レンタカーの後のボックスで聞いたのである。そうであっても懐かしい旋律に反応し、気取られずに涙をぬぐった。シベリウス公園、フィンランディアホールと罪滅ぼしのように、長く時間を取ってくれたのもありがたかった。
 気を取り直すには、やはり食事。港から5分ばかり船にゆられて着いたのが、小さな島のレストラン「SAARI」。昼食だが、旬のザリガニ料理である。真っ赤に茹で上がったカニは小ぶりだが、涼風に吹かれて、白ワインと絶妙に合う。小柄で、可愛い笑顔のウエイトレスの仕草もいい。豪華客船などが行き交う港を眺めながら、ゆったりと時間は流れた。島といえば、世界遺産となっているスオメンリンチ。海上要塞だが、スウェーデンに約650年、ロシアに約100年支配されたバルト海抗争史の象徴的建造物だ。築城から250年、独立後フィンランド海軍の基地となったが、今は民間に移管されている。観光客も多かったが、女性のジーパンの下はビキニの水着で、さっと脱ぎ捨てて、日光浴を楽しんでいる。
 町の中心はヘルシンキ中央駅。取り巻くようにホテル、美術館が立ち並ぶ。驚いたことにカジノと書かれた大きなビルがある。18歳以上で、パスポートを提示して、2ユーロを払うと入ることができる。酷寒の地でのささやかな娯楽といえるのかもしれない。遅い夕食を終えて、このあたりに差し掛かると多くの若者がたむろしている。酒を飲み、窒息するくらいにキスをしている二人もいる。短い夏を謳歌しているのだ。OTTOと表示のあるATMにはいつも列をなしているのも記憶に残る風景である。車を改造した店舗が並ぶマーケットは大賑わいで、サヤエンドウを生で食べたがおいしかった。アカデミア書店に立ち寄り、マリメッコで1歳の孫娘用シャツを求めた。何ともうれしい買物である。
 11年前、ピアニスト館野泉を富山に招いた時に、ぜひフィンランドへと誘われたのがそもそもの因縁だが、何とも感慨深い。館野も02年タンペレで、コンサート中に脳溢血で倒れたが、左手のみのピアノコンサートを精力的にこなしているのを聞くと、こちらが励まされる。
 ヘルシンキ大聖堂の前広場に、ロシア皇帝アレクサンドル2世の立像がある。それを支える4辺の台座には、それぞれ「働く」「戦う」「学ぶ」「芸術を尊ぶ」人々の彫刻が刻まれている。なぜアレクサンドルかは問うまい。小国の知恵であり、この4要素をしっかり受け継いでいけば、危うくはならないとするこの国の建国の意志を表していると感じ入った。
 国際経済での強さの象徴といえるのがノキア。1865年製紙会社からのスタートである。人口450万人にして、携帯電話の生産量が世界1位である。寒くて、資源にも恵まれない、加えて大国からはその独立も脅かされる。そこで生き抜くには、やはり教育しかないと思いいたったのであろう。生きるための能力を引き出すという教育の本質が理解されているからだ。教育費が無料ということは、教育に貧富を持ち込まないことでもある。自立のための教育であり、競争はなく、相対評価はない。もちろんこの国には問題点も多い。自殺率とアルコール依存症だ。しかし国の進むべき方向は間違っていないという安心感がある。
 そして、ここではホテルにも、老人ホームにもサウナがある。これがうれしい。森のサウナには行けなかったが、ホテルの貸切システムを利用して、たまった老廃物を汗と共に流し去ることができた。10日間の旅は、7月25日成田に着いて終わった。

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