裁判に最も近く関わったのは数年前である。といっても簡易裁判だが、ある看護師を採用して日を置かずの時であった。その看護師に前の職場から、返さなくてもいいといわれていた看護師資格の奨学金260万円を返却してほしいとの請求書状が届いた。その病院の顧問弁護士名であった。そんな問題を抱えたままでは仕事に影響するだろうと、雇用側として交渉にあたることを請け負った。正式に代理人となることは、非弁行為として認められないと牽制されたが、その範囲を超えるかどうか、超えると判断した時はこちらも弁護士を立てるからと交渉した。まず退職金が払われていないというので抗議し、支払わせた。返却を免除する病院事務長の発言を手帳に記された日付をもとに追及した。その内に簡易裁判で和解を求めることに合意してほしいとなり、40万円を支払う案が提示された。本人はもうこれ以上は争いたくないと決着した。しかし決め手になったのは、こうした前借金まがいで職場に縛り付けようとする病院の旧弊体質をマスコミに明らかにするとこちらの覚悟を見せたからではないか、と思っている。
裁判所の門をくぐる者は一切の希望を捨てよ!といわれるとやはり覗いてみたいというのが心理で、「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を手に取った。著者は瀬木比呂志で裁判官を経験し、12年明治大学法科大学院専任教授に転身している。54年生まれだから60歳。裁判官とは権力に仕える役人であり、制度の囚人にすぎないと断罪している。衝撃を受けたのはブルーパージ。青年法律家協会、当時は青法協と呼ばれ、左翼系裁判官狩りが行われ、70年には宮本裁判官が再任を拒否された。そんなことだろうと思っていたが、最高裁の調査官時代に裁判官との合同昼食会の席上、家の押入れにはブルーパージ関係の資料が山とあるんだと一人が声を挙げると、俺も俺もとみんな同調したという。思想調査がそれほどまで徹底していたのだ。人事での不利益扱い、青法協からの脱会工作などが最高裁を頂点に組織的に行われていたのである。誰もが知る田中耕太郎第2代最高裁長官は、砂川事件の一審無罪判決を上告では破棄差し戻しで覆ることをマッカーサー駐日大使に示唆していたという米公文書で明らかになったことを知ると、日本の司法の現実、実像は想像以上に蝕まれている。
瀬木は日本の裁判所の最も目立った特徴とは、最高裁事務総局中心体制であり、上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキーと断言する。現実に総務局トップである事務総長を経験して最高裁長官になるケースが多い。このような形で右傾化、保守化に舵を切り、収斂させていったのは69年の石田和外最高裁長官が最初で、85年矢口洪一長官が完成の域まで持っていき、08年竹崎博充長官が一枚岩の息ができないまでの支配体制を作り上げたという。
そうすると5月21日大飯原発の差し止め判決はそのヒエラルキーをものともしない判断ということになる。判決を出した福井地裁・樋口英明裁判官は61歳。ブルーパージをくぐり抜け、無能を装いながら、この大一番で勝負に出たのであろうか。関西電力はこの判決を予想の範囲内でとらえているようだが、司法の現状をみれば、控訴審で絶対に覆せると思っていても不思議ではない。裁判も、世論の盛り上げが決め手となることは間違いない。それまで声を挙げ続け、権力に弱い裁判官に権力が交代するぞ、というシグナルを送らなければならない。
虚しいまとめだが、弁護士から裁判官登用という法曹一元化と、独立したドイツ型憲法裁判所を設けることが司法改革にとって必要不可欠な条件である。
それにしても日本の三権は、まるで競い合うように堕ちていっているようだ。
「絶望の裁判所」