「おーい、マンガンを見つけたぞ」。鉱石に鈍い金色に光るものが混じり、手にズシリとくる。これを屑鉄屋に持ち込む。おっさんが眺め透かしてみて、胴巻きから10円札を4~5枚くれる。悪童たちは、もうニコニコ顔でアイスクリーム屋へ一目散に駆け出す。10円のアイスドリアンにかぶりつくのである。屑鉄拾いこそ最高の遊びであり、小遣い稼ぎであった。
「夜を賭けて」はその頃の映画である。「もう戦後ではない」といわれた昭和33年、舞台はアジア最大といわれた大阪の造兵廠跡地。朝鮮戦争ですっかり息を吹き返した日本経済は好景気に沸いていた。侵略した朝鮮民族の再びの悲惨に助けられたのである。鉄鋼、造船と鉄の需要はどれだけでもあった。そこにはまだ3万の機械が放置されたままで、屑鉄の宝庫といってもよい。それを在日コリアンが、夜陰にまぎれて忍び込み、掘り起こし運び去る。もちろん違法行為。一攫千金を夢見るコリアン達のエネルギッシュで、楽しくて、物悲しい物語である。原作は梁石日(ヤン・ソギル)。彼自身がアパッチと呼ばれる鉄屑荒らしの一員でもあった。映画化しようといい出したのは劇団・新宿梁山泊の座長・金守珍、そしてこれに乗ったのが出版やイベント、飲食店も手がける郭充良。日本では制作費が高くつくからと、韓国の群山でセットを作ろうということになる。戦後の大阪鶴橋のヤミ市、在日コリアン集落、造兵廠跡地、何と川までも作り出した。韓国西南部の海沿いの町・群山の工場団地跡地のセットは、テーマパークに入り込んだような壮大さだ。そしてその制作費が何と5億円。はたと考え込まないのがコリアンの無謀さ、がむしゃらさ、いや凄まじさだ。映画の持つ、引きずり込まないではおかない麻薬のような魔力でもある。日本人であれば、たじろいでしまうに違いない。立ち止まっていてはだめだ、走りながら考えようとなるが、やはり何度も行き詰まる。「それでも夢に向かって前進するのです」と郭充良。節約するために梁山泊の座員たちは、自分たちでショベルカーの免許を取得して操り、運河を掘り、鉄道を作り、劇団の一員でもある一級建築士が120棟のバラックを2ヶ月かけて組み立てた。
また、撮影も滅茶苦茶であった。俳優達は4ヶ月間、セットの中で合宿生活。日韓の熱さがガチャガチャに煮えたぎっていたようだ。主演の中山太郎は「主人公を演じるのは自分しかいない」と惚れ込む。「バトルロイヤル」「光の雨」と演じてきているが、この方がずっといい。作家の篠塚ゆりがぞっこんだ。「山本太郎は肉体そのもので演じている。しっかりと盛り上がった肩と鍛えられた背筋。動いた瞬間に美しい陰影を描き出す肩の肩胛骨は、まるで見えない羽の付け根みたいだ。その肉体の確かさに女はすべてを信じる気になる。その真っ直ぐなまなざしに、この男と一緒に地獄に堕ちてもいい」。がむしゃらに生きる中でしか、本能みたいなものがよみがえって来ないのかもしれない。ため息が聞こえてきそうだ。エロスこそ命なのだ、諸君。
そしてストーリーの終末。こんな無法無秩序をいつまでも警察権力が許してくれるわけがない。そのバラック集落は放火され、一網打尽に拘束され、あっという間にのっぺりとした何もない空き地に返ってしまう。
映画評を見て、何とかして見たいものだと思っていたら、金沢シネモンドで夜の8時から1回だけ上映するという。やっぱり金沢、懐が深い。この転勤の恵みでもある。4月17日の月曜日で、入場者は20人程度。1600円だから3万とチョイ。3週間の期間であった。あの5億円はどうなるだろう、心配になってきた。自主上映会ぐらい企画してもいいかな、とも思う。この逡巡が、日本人なのだ。コリアンにはかなわない。
さてイラクの次が北朝鮮だという。国連よりも日米同盟を優先するということはどういう意味を持つのか。金正日が悪いという論理でブッシュ支持をいえば、北朝鮮攻撃をわが国は支持することになる。再び韓半島で同じ民族が相争い、わが日本はまた朝鮮の人たちを殺す側になってしまうのか。あのバグダットを、ピョンヤンに置き換えてみたら、どうなるのか。もっと想像力を高めよう!