横付けサービス

「手厚い看取りをしてあげたからでしょうか、こちらが期待しないのに寄付の申し出があるのです。これがどれほど我々を勇気付け、経営基盤を強くしていくか、計り知れないものがあります」。東京で終末期の医療介護を行っているNPO法人から、こんな話を聞いたのは、3月のことであった。年間で相当な額に達している。医療保険、介護保険の範囲内だけでは限界があり、とても思うに任せない。さりとて献身的な無償の奉仕にゆだねていては、その組織を永続させることはできない。
保険外のサービスは横付けというらしいが、これを共益費と称して事前に徴収すればよいのか、後払いとして寄付という形を取ればいいのか、難しい問題を孕んでいるが、意外と解決策のヒントがあるように思われる。
 ドン・ホセを自称する悪友がいる。ギターを趣味とし、東北に転居し、生涯独身を貫いてきて、両親、兄弟もなく、天涯孤独の身だ。マザコンの女性恐怖症で、小学校時代の女の子の幻想を未だに大事にしている。誰にも相手にされなかっただけだろうと周囲は思っている。スポーツ新聞に10年ほど務め、売薬に転じた。原発工事現場に目をつけたのがあたって、見る見る小銭を貯めだした。ちょっとした金融資産とみている。ところが糖尿病の進行もあって、長くはないと判断したのだろう。自らの墓を建立、永代供養まで行った。いわば、この男の資産は死蔵される寸前といっていい。唯一の楽しみであった風俗への意欲も、糖尿病が減退させてしまって、庭の手入れに執心する毎日という。
 先日、わがナラティブホームに入居するという前提で、寄付するという遺言信託はどうか。国家に没収されるより、死後もわれわれの間で語り継がれるというものだ、とメールを送った。答は予想した通り、お前らに俺のこれまでの苦労がわかってたまるものか、余計なお節介だ。頑固で、不安を打ち消そうともがいているのだ。性急過ぎたかな、と反省しているが諦めてはいない。また、退職後社会人入学で大学院で学ぶ独身女性に、こんな話をすると、私は二つ返事でOK、と断言した。
 リバースモーゲージという高齢者の自宅を担保にという手法もあるが、地域経済が衰退し、人口減少も加わり、処分に困りはてるという危険性が大きい。ここは寄付文化をどう根付かせていくか、にかかっている。宗教法人系の福祉施設で、同様なことが行われていると聞くが、どこまで自由意志が尊重されているのか、いささか胡散臭さがある。
 地域を見渡せば、異常なまでの生活防衛意識である。不況もあるのだが、将来不安が心身ともに凍りつかせている。一方で入居者の不払いも座視できないほどになっていると聞く。そんな状況下では、横付けサービスを組み込んだ料金設定では、最初から敬遠される。とすれば、後払いでの寄付をその人のレベルに応じて、設定してはどうだろうか。葬儀費用の預金を、それに充てようとしてもいい。香典返しを寄付に代えたいと参列者に申し出てもいい。そんな寄付文化を育てていかねばならない。
 そんな小手先で変わるものか。庶民のしたたかさを全く知らない、世間知らずの机上の空論だ、との指摘も最も。また、医療費の削減を食い止めることが先決であることは論を待たないが、制度だけでは掬い取れないものがあるのだ。当然の権利、その対価としての最低限のサービスでは、名ばかりの福祉になってしまう。気持ちの通い合う横付けサービスをどうするか、問題を提起しておきたい。
 どういうわけか、ドストエフスキーの「罪と罰」。高利貸しの老婆を殺す権利を選ばれた自分にあるとするラスコーリニコフ。死蔵される資産を、色仕掛けでも強奪する権利を有する選ばれた福祉実践者としたら、どうだろうか。ドンホセが、にこやかに遺言信託にサインをし、さりげなく送付してくる。騙される振りをする粋なドンホセに望みをつなぎたい。

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