タクシードライバー

この男に出会えなかったら、仕事の大半はつまらないものになっていただろう。それほどにいい出会いであったと思っている。4歳年下である。一仕事が終わるとこれっきりにしようと何度となく思ったが、やはり彼しかいないと何度も、何度も。使いにくいタイプの典型である。締め切り時間ギリギリはいつものこと。胃がキリキリ痛む思いも覚悟しなければならない。しかし、いつも想像を超えたものが眼前に現れる。

彼はコピーライター。でもデザインセンスも抜群であった。過去形である。よんどころない事情から、現在東京でタクシードライバーをしている。いやあいつのことだから、窺いしれない哲学的な悩みがあるのかもしれない。あの「地と骨」の在日韓国人作家ヤン・ソギルも、タクシードライバーで食いつなぎ、大作をモノにした。そんな企みを持っていてくれればいいなとも思う。

よんどころない事情というのも後学のためだ。悪いけどばらしてしまおう。とにかく人生にひたむきなのである。彼の結婚暦は3度である。知る限り登場するのは4人の女性。?最初の結婚は高校時代の1年先輩の女性。2人の男の子がいる。野心的でもある彼は高卒後、製造業に就職するが長続きするわけがない。昭和40年前後富山の地域情報誌の草分けでもあった「とやま20世紀」を発刊し、広告代理業も営むアド企画に席を置くことになる。そこにも飽き足らず東京の広告代理店に移る。仕事も面白いが交友の範囲も。この時、書評の名人・向井敏に出会ったのが彼の才能が花開くきっかけであった。?そして出現したのが前衛演劇俳優を目指す美人。彼の信念は二人の女性を同時に愛さないこと。しかも子供も手放せないという熱い父性も持っているから事情を厄介にする。この美人を母親に合わせようとした時、「敷居をまたがないで、私は舌を噛み切るから」と母親は拒絶したという。幼子2人を引き取っての離婚。刀折れ矢尽きての帰郷だ。そこでひるまない。?デザイン事務所に職を得た彼は、さる若き令嬢と再婚。これも長続きしなかった。?仕事の独立を機に優秀な同業の女性となさぬ仲に。小さな事務所であったが、いつも五輪真弓のCDが流れるなかでふたりは机を並べていた。最も精力的に仕事をした頃である。彼女とは一子男の子をもうけている。それでも安住することなく別れる。立山の山懐の廃屋を手に入れ、そこを拠点としてしばらく活動した。しかと確かに知ることではないが、やはり背後には女性が。

これほどの女性遍歴だが、時を経た今は恨まれていない。別れるにしても人間としての愛と誠実が感じられるという。子供の教育にも積極的で、身を挺してもというところがある。タクシードライバーも、北海道大学歯学部に進学し、大学院を目指すという息子の学資稼ぎという目的もあるのである。

彼が東京に出て丸4年。消息もなくなったのだが、ひょんなことから相次いで彼がらみが舞い込んできた。ひとつは?の女性との結婚で仲人をした人から、若い文学指向の男が東京で苦しんでいる。彼の消息を知っていたら紹介してほしい、というメール。相前後して?の女性から電話。宇奈月国際会館でミニ朝顔の写真展を開くことになり、20年前はご迷惑をおかけしながら何のお礼も申し上げていなかったのでこの機会に、と訪ねて来るという。早速と東京のタクシー会社に電話をしてみると、まだ在籍している。出来れば連絡するようにという伝言したが、1週間過ぎるも音沙汰なし。

そんなこともあり、懐かしくなった。ちっぽけだが賞をいただいた仕事などを振り返ってみた。不二越のビデオヘッドに使うポリゴンミラーを撮影するのに徹夜をした「とやまハイテク最前線」。りんごと英字紙が必要と探し回り、照明の角度を何度も変えながら、時間を忘れてしまったこと。富山の売薬「能登家」が薩摩藩と取引をするための知恵を画策したことを調べるために、その末裔である密田邸を訪問。これまた延々と取材をさせてもらったこと。徹底的に現場にこだわってコピーを紡ぎだす手法であり、それにこだわる情熱は凄かった。いま一度一緒にやる機会があればと思っている。

平凡なことだが、ひとりでは仕事ができないのである。人との出会いから始まる仕事の創造性の醍醐味。これを仕事人生の中で垣間見させてもらっただけで満足である。

もしこんな相棒が現れないのは不幸と嘆いているのであればそれは大間違い。仕事も惜しみなく相手に与えるもの。与えるものもないのに、周囲に人がいないというのは卑怯というもの。

労働者諸君 大きく明るく汗を流してほしい。

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