寿司は魚津にかぎる。

寿司は魚津にかぎる。こんな冗談をいいながら、今は亡き高円宮殿下にはこよなく魚津の寿司を愛してもらったという。、忘年会と称してその寿司屋を2度ばかり利用した。ネタの生きの良さ、シャリの旨さ、握り具合、なによりも寿司そのものに風格がある。これなら殿下にかくいわせるのもむべなるかな、と納得だ。

一方、漁協青年部のひとりはこぼす。魚価の値崩れがひどくて、漁船の油代にもならない。あの平目が大衆魚と同じ価格で、昆布締めにして市場への出荷を調整している。先日イカ釣り船に初めて女の人が乗ったと話題になった。そこの奥さんだが前代未聞のこと。人件費の節約が目的で、そこまで追い詰められている。消費不況が漁業を直撃している。それでいて漁港の整備事業は着々と進められている。耐震構造のすばらしいもの、その上にフイッシャーマンズワーフよろしく観光小売施設も作るという。後継者がいない、魚が取れない、やる気も起きないのに公共事業だけが一人歩きしている。どうかしている日本は、とぼやきが続く。正月からぼやきだけでは申し訳がない。八方ふさがりに見えるが、ちょっとわくわくする企画が動いている。

東京魚津会がことし50周年を迎える。記念総会が2月22日、東京市が谷・私学会館で開催される。そこにこの寿司屋が出張っていくことになった。故郷を想う皆さんの思いは強い。ありきたりの料理ではつまらない。その会長を務める三井ホーム社長の高橋さんと雑談をしていてそんな話題になり、トントン拍子で決まった。それだけに留まらず、獲れたての魚を「魚津玉手箱」と称して売ることになった。会員の皆さんに事前にDMを発送し、予約を取り、当日お土産に持ち帰ってもらう。そしてこれがうれしいことだが、この企画に参加する有志がそれぞれ10万円ずつ資金を出すことになった。DMの印刷費などその他リスクの負担分だ。従来であれば、すぐに市観光特産課に予算をみてもらおうとなるのだが、行政に頼らないという。行政がはいると不特定多数の利益とかいって、何をやっているかわからなくなる。いちいちお伺いを立てていては間延びしてしようがない。この心意気である。せっかくだから、このDMを関西、中部の魚津会、県外に住む魚津高校同窓生などに発送することになった。更に更に、これを機にHPを立ちあげようとか、いや東京に魚津の魚を食べることが出来る寿司屋兼居酒屋をつくろう、と夢が広がっている。

しかし戒めている。サスティナブル、つまり持続させることである。情熱、辛抱、自己責任、自分の利益より他人の利益、ユーモアのある連帯感、何よりも思いを込めて小さな成功体験の積み重ねこそ肝要だなどなど。従来と違う発想のマーケティング感覚が不可欠。ともあれキャラバン隊ができた。

一方で、楽天での売り上げが店での売り上げを超えた、また安心安全のセコムが、安全保証システムを使っての食の販売をカタログ、HPで展開して好調だ、また三浦半島の漁協の「今朝の獲れ立て」メニュー宅配がすごい人気とか、生産者と消費者が直接に結びついた販売手法が成功を収めつつある。

小さな地域がとにかく自らの自然の恵みに目覚めて、自らの足で歩き始めた。どう展開成長していくか楽しみである。

さて、2003年の幕開けである。われわれは歴史軸のどこにいるのだろうか。劇作家・山崎正和の認識が正しいように思う。朝日新聞での発言要旨である。

「いまの不景気は二重の構造を持つ。当面の金融危機と長期的な文明の変化だ。20世紀につくり上げてきた大量生産、大量消費社会の終りが見え始めた。お金を使わない理由は将来不安とかではなく、モノを買ってたくさん捨てる生活にみんなが飽き飽きして、もうやめようということだ。日本ではいま、この文明的変化が最も先鋭的、先端的に表れている。失われた10年どころか『大進歩の10年』だと思っている」

「モノからサービスへの思い切った転換がカギだ。対面接遇で、一人ひとりが自分に合ったサービスを受けたいという需要は渦巻いている。例えば教育や医療だ。少子高齢化社会でも、老人や働く女性が増えることで家事労働だった介護や保育が外部化され、身近なところで新たなビジネスが生まれる」

「組織社会は終り、緩やかな人間関係で出入り自由な『社交』社会が中心になる。サービスとは社交だ。そこで自己表現する柔らかな個人が増えるだろう。知的生産も社交。世界中の技術者がインターネットでソフトを無償開発しているリナックスのように、互いを認め合って生きがいを見いだす」

「職業観の大転換も、もっと必要だし、進むと思う。サービス業をしていてはやっていけない。例えば、料理のシェフは若者のあこがれになってきたし、大学には介護の講座ができた。固定観念が変わったら、未開拓の分野が急に活気づいたり、均質化教育で行き場をなくしていた若者が頑張り始めたりするだろう」

さて、高円宮殿下と酒食の席を共にした人が一様に驚くことがある。普通の人がビールを飲むと幾度となくトイレに起つが、酒席で殿下はほとんど起つことがないという。貴賎の選別とは意外にそういうものかもしれない。夜噺茶会の失敗例もあり、小生の賎は間違いない。

最後になりましたが、あけましておめでとうございます。本年もお付き合いください。

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