50年以上購読している月刊誌「世界」が大幅にリニューアルした。驚いたのはこれを手掛けた編集長が入社14年の堀由貴子で、38歳だという。初代編集長が吉野源三郎だと思えばなおさらである。岩波書店の就職試験は一般公募で、1000人以上が応募し、数人が合格するという最難関だった。1967年に老人も体験とばかり受験したが、憧れの出版社だった。
何はともあれ、彼女が手がけた12月8日発売の1月号が届いた。編集後記で、デザインを任せる須田杏菜と、どんな表紙にするか模索を続けた。何となく「暮しの手帖」を連想させる。読者の93%が男性の高齢者性で、「世界」らしさが失われると社内から厳しい意見が噴出した。「女性や若い読者に、『自分に語りかけている雑誌だ』と思ってもらうようなものにしたい」と押し切った。前任の熊谷伸一郎も、創価大中退の異色ながら42歳で編集長に就任し、昨年末営業部に異動し、7月に一身上の都合で退職している。社内でもいろいろあるのだろう。どうも50年前に抱いていた岩波イメージと違い、権威主義と一線を画した人材が担っているようだ。その背後には厳しい出版不況の現実がある。1995年の「世界」公称部数は12万部で、現在は3分の1の4万部である。採算すれすれの剣が峰に立っていることは間違いない。
「世界」を最も高く評価していたのは、3月に亡くなった大江健三郎。手にしたのは16歳の高校生の時だった。誌面も講和条約、朝鮮戦争の論考で勢いがあったのだろう「ぼくは胸がしめつけられるような感情をひきおこした」。そもそもぼくの読書能力は「世界」の水準においつくまでに永い時が必要であった。この雑誌をつうじて<もうひとつの大学>に学んだといってもいい。更に「世界」の持つ論考の持続性も高く評価している。中国、韓国、沖縄はじめ様々な緊急の問題についての執拗な持続性は、実に歴然たるものがある、といい切っている。
はてさて、大江健三郎の「持続する志」は、日韓条約の強行採決を契機に露骨に進行しはじめた、われわれの国の<圧制と頑迷のclimate>(空気と訳してみた)の内での、強力な抵抗にさからう持続ということである。20年後の「世界」を手にすることで、持続的に生きることができたかどうかを確認する手がかりを得ることができる。ここまで評価しているのだ。
大江健三郎の遺言とあれば、20年後まで岩波書店を存続させ、「世界」の発刊を続けなければならない。恐らく部数も漸減するのは確実だろう。こんな逸話を思い出した。1991年に出した広辞苑第4版は220万部と驚異的な売り上げを記録した。「当分、何もしなくても岩波は食っていける」と出版界でささやかれていた。その広辞苑もデジタル化で消し飛んだ。棚ぼたは期待できない。
坂本政謙・岩波書店社長は「全社をあげて商売人に徹して、新書を尊ぶ気風や商売人としての強かさを取り戻し、変わることを恐れず、ことにあたっていきたい」と檄を飛ばす。日韓をテーマに、持続する志でさからうことを決意した老人は、20年講読の契約をしてもよい。