「ぼくら大衆がそんなにばかかどうか。この際ちゃんと知ってもらうためにも、21日の選挙にぜひ行かなくちゃ」と天野祐吉が朝日新聞のCM天気図で檄を飛ばす。「偏狭なナショナリズムと近視眼的自己主張の中で、近隣アジアからの孤立と米国からの失望を招き、米中の接近と、米中二極によるアジア太平洋秩序の制御という流れを誘発しているという認識もない。この恐るべき視野狭窄から脱却しなければならない」と寺島実郎が世界の能力レッスンでこうアジる。
老人は届いた参院選の投票所入場券を前に思いを巡らせている。死票間違いなし、となるがどうするのだという声でもある
自民党は国会最終日の6月26日に放送された「NEWS23」について、「公平公正を欠く部分」があったとTBSに抗議し、参院選公示日までに「誠意ある回答」が得られなかったとして、党役員の出演や取材の一時停止を通告していた。そして7月5日、TBSからの釈明を事実上の謝罪として解除した。 こんな報道に思い出したのが、05年朝日新聞が報じたNHKの従軍慰安婦に関する番組が改変されていたというスクープ。当時の内閣官房副長官・安倍晋三と経済産業相・中川昭一が内容が偏寄っているとNHK幹部を呼び付け、改変するように圧力をかけたとするものだ。逆らうものには仮借がない。
また「在日特権を許さない市民の会(在特会)」が結成されたのは、第1次安倍政権発足と同じ06年。「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮人」「住ませてもろて何が差別や」「国へ帰れ」「駆除するぞ」「人間のでき損ない」「死ね」と、こんな聞くに耐えないヘイトデモが東京・新大久保、大阪・鶴橋駅前で繰り返され、ますます過激となっている。特に忘れてならないのが09年12月京都朝鮮第一初級学校への襲撃事件だ。子供たちがいる前で、グランドが無いので隣接する公園を使っていることを指して、「不法占拠」「北朝鮮のスパイ養成機関」「朝鮮やくざ出てこい」と大音量での罵声を浴びせ続けた。しかし、この事件を機に閉鎖、移転という方向で動き出した。近隣ではいつしか「迷惑施設」と化していて、これを容認する空気となっている。
「安倍政権は国際人権基準に背を向けている。人権が普遍的な概念であることを全く理解していない」と批判するのは寺中誠・元アムネスティ日本事務局長。国連の社会権規約委員会や拷問禁止委員会からの従軍慰安婦問題についての勧告を、法的拘束力を持つものではなく、従う義務はないとの答弁書を閣議決定している。
日本を取り戻すというのは、戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります。これを聴いていると、戦後民主主義を全部否定するのだ、に聞こえる。一方で日米同盟強化といって、戦後民主主義をもたらしたその米国との関係を深化させるという。こんな子供じみた矛盾を平気で使って、信頼が得られるとはとても思えない。思い出すのは年金記録問題で、「最後の一人まで記録をチェックして、保険料をこつこつと払ってくださった皆さんの年金を正しくきちんとお支払いします」と街宣カーから声を張りあげる姿である。この既視感も消し去ることはできない。
さて、悩ましいが負けを覚悟でやはり投票に出向こう。君、「票」を捨てたもふことなかれ!だ。次なる国政選挙は、3年後の16年夏での恐らく衆参同時選挙であろう。そこを視野に投票するのだ。それまで命があるかどうかわからないが、臥薪嘗胆して「賢い国」への長期展望ある構想を描こうではないか。団塊世代と団塊ジュニア世代がその主体となることは間違いない。狡賢な団塊がアベノミクスの果実をまんまとせしめ、団塊ジュニアの政治資金として投じる。票と運動とカネがクールミクスとなって逆襲するのだ。3年後、ばかな大衆の底力を見せつけよう。
参院選を前に