1942年の長生炭鉱水没事件を国会で追及する大椿ゆうこ参議院議員を、好ましくみていた。ところが、7月参院選で落選してしまった。社民党はラサール石井を立てて、辛うじて政党要件を満たす得票率2%を獲得したが、2人目当選には程遠かった。比例総得票は121万票で、党員の減少が続いており、党の存続も危ぶまれる状況に変わりはない。大椿そのものは魅力的な存在で「もう一度、大椿さんを国会へ!」という声は大きいが、今後どうするのだろうか。
そんなことを思っていた矢先に、10月12日富山県高岡市で、大椿ゆうこの講演会が開催されると聞き、興味津々で出掛けた。主催の社民党富山支部はI(あい)女性会議のメンバーが支えている。旧知の女性が司会進行をしていたが、講師紹介の途中で涙声になった。大椿の看板政策は不条理な非正規労働者を無くすことだが、「自分も非正規ゆえに子供を持つことができなかった」と、つい個人的な思いがあふれてしまった。会場もシーンとなって、言葉にならない共感がひろがった。そんな雰囲気の中、大椿のエネルギー溢れる展開となったが、それとは別に彼女の人生の不思議を想像していた。
議員になれたのは、2023年に社民党から立候補し、立憲民主党に移籍していた吉田忠智・参議院議員が大分選挙区の補選に立候補するために議員辞職したことに始まる。名簿順位2位、3位の候補者も立憲に移籍しており、名簿順位4位で、社民に残っていた大椿が繰り上げ当選となったのだ。議席が文字通り棚ぼたで転がり込んできたのである。この幸運で得た議員活動の面白さ、ダイナミックな展開は、彼女を夢中にさせていった。
関西学院大学で上限4年の有期雇用障害学生支援コーディネーターであった大椿が、任期満了でクビにするのはおかしい、と組合に加入して現職復帰を求めた。その間団交を繰り返し、3年9カ月闘ったが再雇用とはならなかった。その間の団交経験が議員活動に大きなプラスになっている。加えて、関西生コン、兵庫県での公益通報者保護など国会質問のネタを見つけ出す天性のジャーナリスト感覚も、彼女に備わっていた。まさに水を得た魚のように国会質問を面白くしてきた。わずか2年余りの議員活動だったが、天職とも思えたのであろう。本心から、国会に戻りたくてしょうがないのだ。しかし、社民党の枠内での選挙戦では展望が開けないのでは、との不安も抱えている。見守るしかない。
受付に彼女の著書「愛と連帯」が並んでいたが、発行元は地平社。昨年岩波書店を飛び出して、起業した新興の出版社で、期待もし、応援もしている。かくいう地平社も波乱の真っただ中にいることは間違いない。