ニューヨーク。好きな街である。2度訪れているが、今一度行ってみたいと思っている。最初は1974年の夏だから29歳の時。世界貿易センタービルは70年に出来ているから、初日の観光でガイドは誇らしく紹介していた。この時は確か1ドルが240円のはず。アメリカを見たくて行きたくて、恋焦がれていたのがやっと実現したのである。ワシントン、ボストンにも足を伸ばした。首都ワシントンの国家の威信を見せつける都市設計の巧みさに驚嘆した。リンカーンセンターからワシントンメモリアル、そしてアーリントン墓地を一直線に並ばせて、いやが上にも見るものを圧倒させる。いまにして思うと、これは新興国の力み。ボストンからニューヨークへ飛行機を利用した時は、いわばシャトル便でバスを利用する手軽さ。航空券も機内で発行。隣の席には、ぬいぐるみを抱えた女の子がまるで隣町に出かけるように座っていた。飛行機が全米を網の目のように結んでいるのである。セントラルパークで馬車に。9ドルでステーキとロブスター。ロックフェラーセンターを中心にひたすら歩きまわった。
2度目は1997年夏で51歳。1ドルは100円前後。その年の1月に妻を亡くし、いわば新盆。葬儀も墓も要らないといわれ、盆の迎えようもなく、思案の末に思い立ったのがニューヨーク行き。3人の子供達も、この酔狂プランに付き合わせた。亡妻も連れていこうと、遺骨を忍ばせることにした。5番街の近いホテルに、男4人でスイートルームを確保。5泊のベースキャンプだ。上の2人は自由行動としたが、初日だけは揃ってマンハッタン南端にある自由の女神が望めるバッテリパークへ。大西洋にそそぐハドソン川に思いを込めて散骨した。遺された家族が、ちょっと立ち止まることもあったが、歩き始めるぞ、の確認のつもりだった。中学生の3男とは、美術館を中心に歩き回った。上の彼らはコンサートに出かけたりで、深夜の帰還も。2度目の余裕もあり、治安が前回と比較して段違いによく、それぞれに満喫した。亡妻からの思わぬプレゼントでもあった。
そのニューヨークで、想像も出来ないテロが起きようとは。9月11日は、このテロリスト達にとってどんな日だったのであろうか。世界を震撼させたことではテロの効果としては十分の成果であったろう。
乏しい想像力駆使して予見してみる。報復はアメリカ国民を満足させるものにはならないだろう。白旗を掲げる主体がいないのだから。これほどのテロを遂行できる確信犯組織である。テロは神経を逆なでするように続くに違いない。そう思うとその不毛さに暗然としてくる。確実にいえることは、世界貿易センター跡地に必ず、これに倍する素晴らしいビルが建てられることだけは間違いない。若い国なのだ。「USA」「USA」の歓呼の声がその竣工式にこだまするだろう。
その時に3度目の訪問を実現したいものだ。そして宿題を課したい。イスラムについて系統だって勉強することを。シオニズムからイスラエル建国の背景も。