巨大な拉致と呼ばれる北朝鮮帰国事業を、半知半解ながら取り上げる。県立図書館の新刊棚に「北朝鮮帰国事業と国際共産主義運動―資料が明らかにする真実―」(現代人文社)。その分厚さと定価7000円に、今借り出さないと生涯手にすることはないと即断した。著者は63年生まれの川島高峰・明治大学准教授で、ベトナムの大学にも籍があり、ハノイであとがきを書いている。論文や新書などで書き散らしては真実に迫れないと、ほぼ20年掛けて書き下ろした。その間3回も科研費が獲得できた幸運もあった。
その帰国事業だが簡単に記す。1959年12月14日~1984年7月までにほぼ新潟港から、9万3340人の在日コリアン(日本人妻6839人含む)が北朝鮮に渡った。50年代、差別と貧困にあえぐ在日コリアンにとって北朝鮮は「地上の楽園」と謳われた。職業教育の機会は保障され、医療福祉も無料と聞けば誰しも憧れる。情報源は総連系からの口コミであり、当時珍しかった日本語グラビア雑誌「朝鮮画報」などが後押しした。現実とは程遠い情報がまことしやかに流布されていた。また、南北の国力もいまほどの差はなく、むしろ北の方が勝っていたのかもしれない。そこに朝鮮戦争が巻き起こる。戦争終結は共産圏からの平和攻勢への転換をもたらし、帰国事業を後押しした。
高校同期の在日の友人がいる。ある時「俺もまかり間違っていれば、北に行っていたかもしれない」と口走った。国立大学の工学部を出たが、民族問題に目覚め、総連の活動に携わっていた。新潟で帰国事業のサポートをしていた時期もある。「今思うと、ぞっとする」という。
北朝鮮では最初から革命の理想など皆無で、自らの金王朝をいかに守り抜くかだけ。粛清に次ぐ粛清を際限なく繰り返した。特に韓国の活動家・朴憲永の処刑は忘れ難い。出身成分なる身分制度は3階層(核心層・動揺層・敵対層)51区分と厳しく定められ、「日本帰還民」は32番目に分類されて監視対象であった。社会的に上昇することはあり得ず、むしろ政治犯に仕立てあげられる危険性がつきまとう。全員に公民証が発行され、年2回の審査があって携帯が義務付けされ、すさまじい監視体制化で生きることになる。今に続くといっていい。このような事実が明らかにされないのは、いわば帰国者が人質になっていることに由来する。
いわば地獄に追い落とすような北朝鮮帰国事業とは、何だったのか。戦後まもなくは韓半島からの引き揚げ者と、韓半島から動員された朝鮮人の帰還者がピストン輸送の観を呈し、対馬海峡を往復していた。そこに朝鮮戦争が勃発し、米ソ冷戦の代理戦争となり、左翼思想を持つ在日は日韓でも排除したいとなり、北への送還が渡りに船となったのではないか。
韓国への帰還が徴兵制を何としても避けたいと、日本への密入国が盛んに行われていたことも忘れてはならない。大村収容所事件は韓国に受け入れを拒否された朝鮮人がそれならば解放せよと決起した事件である。
在日の同期生に申し訳ないと心から思う。祖国を持ち得ないもどかしさ。しかし、イスラエルにしがみつくシオニストを見ると祖国とは何か。同様に、わが祖国日本というのも薄っぽいし、嘘っぽい。