世の中には不思議な縁というものがある。同僚に薦められるままに金沢赴任以来愛飲しているのが加賀棒茶。朝食のあと、漬物それも茄子の一夜漬けをもって最高としているが、ない場合は沢庵でもいい、これを口にして、たっぷりとした棒茶を飲む。これをしてわが至福としている。鯵の干物、納豆、目玉焼き、味噌汁、ふっくらとしたご飯、これに梅干し。あと何回の朝食か知れないが、人生の幸せ尺度があればこれである。「朝のチーズ一枚は夜のステーキに相当する」といった中学家庭科の先生の一言が刷り込まれてのもの。
加賀棒茶の何がいいかといえば、培茶特有の香りだ。何ともいい。これを独り占めするのも悪いと思って、ちょっと世話になった人に送ってみた。その送付確認状が届いたのが 5月9日の午前中。丁寧な礼状を添えてのもので、さすがに加賀老舗のお茶屋だと感心していた。その日は、また楽しみにしている日でもあった。わが郷土新湊出身の仏画作家・牧宥恵に何十年ぶりで会うことになっていた。金沢市東山町「茶房一笑」での個展の連絡をもらったのは10日前。東山町といえば東廓。これは格好と約束の1時間前に出かけた。石畳に格子戸の街並み、重要伝統的建造物保存地区となっており、金沢市はこの保存に取り組んでいる。廓が出来たのが文政3年(1820年)だから、加賀藩の体制が整う前である。遊郭こそ人間根源のエネルギーなのである。このたたずまいにやはり心が弾む、うれしいのではない、ある種の郷愁みたいなもの。隆慶一郎の名作「吉原御免状」がふと思い浮かんだ。廓の風情をゆっくりと一回り味わい、まだ時間があるからと入ったのが遊郭「志摩」。抹茶サービスもやっており、他に客がいないのも幸い、庭にたたずんで笛の音を聞き、何ともいえない時間を過ごすことができた。さて「茶房一笑」へと急ぐ。
和風にして粋な空間である。一見してとても喫茶だけではやってはいけないとわかる。目をやると、何と片隅に加賀棒茶の陳列棚。ギャラリーとして、お茶会としても使えるようになっている。粋な旦那は加賀棒茶の経営者だったのである。そして「一笑」の名は、加賀俳壇の俊英・小杉一笑に由来する。芭蕉が若くして亡くなった一笑を追悼して詠んだのが「塚も動け 我泣く声は 秋の風」。一笑の辞世の句は「心から 雪うつくしや 西の空」。芭蕉は越中を走り抜けるように通り過ぎたが、加賀では8日間逗留している。文化の差である。
牧宥恵は小生より5歳下で、お姉さんが同級であった。新湊高校から日大芸術学部に進学するも学園闘争もあり中退、図鑑等の細密画の世界に身を置くがやはり限界を感じる。そしてインド放浪の旅へ、そこで仏教を強く意識するようになり、独学で仏画に専念する。京都智積院にて出家、得度し、いまは和歌山の根来寺境内に画房を構え、伝統仏画と三昧画(癒し画)を描いている。なかなかの才気煥発で、NHK学園の講師も兼ね、ディスクジョッキーもやっている。実家は桶や、みんな「桶やぽんぽん」とよんでいた。「人生なんて一歩間違えば、どうなっていたかわかりません」。「しかし、おまえがなあ」。あのやんちゃ坊主が文字通り坊主になる。小さな横丁で、鼻水たらし、遊びほうけていた男が得度、出家するのである。誰が彼の人生を予測し得よう。しかし一歩間違えば、どうなっていたか。誰しも同じである。たまさかの僥倖のような成功を、わが実力と錯覚しないことである。
二人で話し込んでいると、粋な旦那である丸八製茶場社長・丸谷誠一郎さんがあいさつにやってきた。こんな偶然が面白いから生きていけるのだと、しみじみ幸せを感じた一日であった。
牧宥恵「白描画・三昧画・茶器展」は6月8日まで。金沢市東山1-26-13「茶房一笑」(電話076-251-01018)にて。