車椅子に、ちょっとやつれた身を起こして自作の新作能「一石仙人」を見やっているのが多田富雄さん。10月29日、石川県立音楽堂。開始時間寸前に滑り込み、すぐに眼に入った。どんな思いが彼の脳裏をよぎっているのだろうか。三年前、金沢医科大学を訪ねていたおりに脳梗塞に襲われた。言葉を失い、右半身は動かず、加えての嚥下障害、それを乗り越えて再び金沢の地を踏んだのである。生きるということはこういうことなのだ。彼の背中が叫んでいる。
日本補完代替医療学会のプログラムの一部として開催された。多田さんが倒れるそばにいて、その後の入院、転院、リハビリを目の当たりにした長野一朗同学会広報部長が、ぜひにと尽力した。
一石仙人とはアインシュタインのドイツ語読みもじり。一般相対性原理を主題にしている。「時世(ときよ)の外(ほか)の旅なれや 時世の外の旅なれや 真理(まこと)の法(のり)を求めむ」。ワキの羊飼いの老人登場で始まる。舞台はユーラシア大陸の果ての砂漠。旅の女があらわれたところに、突然の日蝕現象。そこでは時間も空間もゆがみ、光さえも重力で曲げられる。日蝕を晴らした老人はやがて砂嵐で飛び去ってしまう。そこにシテの一石仙人。膨張する宇宙の神秘を語り、量子を解き放ち、原子の力を見せ付け、それを鎮めてしまう。「かようの力を見る上は、戦さ、争い、破壊には、原子の力よも使うまじ、忘るなよ人間」と叫び、ブラックホールに吸い込まれていく。そんな筋書きだが、台本を必死に追いながらの聴衆が多い。
事前にあったワークショップで、演出の笠井賢一から筋書きを、大鼓の大倉正之助から間合いの掛け声のリズムを聞いていたので何とか理解することができた。19歳から小鼓を打ち、免疫学で生命の神秘を探り、いま地獄の苦しみの中で法悦を見出す多田ワールドが凝縮されている。
さて、物理の重力理論をもってしても解明できないのが地震予知。墓石が台座ともに散乱している墓地の写真を見て思い出した。「日本で安全なところといえば、縄文、弥生の遺跡のあるところです」。こう話してくれたのは下河辺淳さん。皇居前の東京海上研究所に氏を訪ねた時である。東京に直下型の地震が起きれば、高層ビルは液状化した地中にそのまますとんと沈んでしまう危険性もある、と付け加えられて慄然とした。
縄文弥生時代の人口は20~30万人。現在の人口は1億2766万人。思えば、ひたすらに国土を切り拓き、この人口増に対応してきた。下河辺はその先頭に立っていたと見られている。田中内閣時代の列島改造、三全総(第三次国土総合計画)、四全総と呼ばれた多極分散型国土づくりのシナリオライター。水没の危機にさらされている山古志村のトンネルも角栄がこの時作ったもの。
はて、被災者の方には申し訳ないが、復旧をどこまで考えればいいのだろうか。福井の水害で線路が流失した越美北線も、悩んでいる。一日の乗降客がほぼ700人。足羽川沿いに山裾を縫うように走る鉄道を復旧するのにかける費用は数百億円。走ったとしても赤字路線は変わらない。忘れてならないのが三宅島。帰村も始まるらしいが、生活の一からの建て直し。今ひとつ世論が動かないのはどうしたことか。
義援金でこと足れり、というわけにはいかない。奈良県十津川郷は,明治22年の大洪水で壊滅し,翌春北海道へ移住し新十津川村を誕生させた例もある。新・山古志村をどうするか。情緒に流されない建設的なプラン論議があっていい。
三内丸山団地、吉野ヶ里マンションは論外か。
一石仙人