同期生の朝日奈満里子から上梓したばかりの「図書・図書館史」が送られてきた。司書職を全うした彼女の矜持といえるもので、慎ましく誇らしく見える。ネットもない新聞社の新人時代に、この出典はどこからかと彼女に電話をして助けてもらっていた。紀元前にメソポタミアで楔形文字を使い、粘土板に「ギルガメシュ叙事詩」が刻まれたのが記録のはじまり。文明はこうした記録によって読み継がれ、人類はその恩恵を享けてきた。富山県初の図書館といわれるのは、1883年の北越井波書籍館とあるが、仏教伝道会などが先駆けている。紙が貴重であった時代に、仏典を書き写す学僧のひたむきさを思いやった。
今、手にしている「文学部の逆襲」(ちくま新書)は、大学内で片隅に追いやられている文学部の状況を嘆いたものではない。これからの経営戦略を考えた時に、人文知を紡ぎ出す人材こそ不可欠だと論じている。著者の波頭亮だが、戦略系コンサルタントで異彩を放ち、論理の展開が小気味よく、06年発刊の「プロフェッショナル原論」が好著で記憶に残っていた。経営戦略をコンサルするには時代認識が欠かせない。それを人類史から説き起こしている。農耕の発達、文字の発明、産業革命を三大技術革新として挙げつつ、時代は大きな変わり目に差し掛かっている。この20年間をみると、資本主義はわれわれを豊かにはしていないし、民主主義は望む政治を実現できなくなっている。世俗的にいえば、商学部出身として欠かせないマーケティングだが、生産性、効率性、目新しさだけでは市場が動かない。探し当てたニーズにしても小さ過ぎるし、すぐに陳腐化してしまう。消費余力というか、購買力が市場に見当たらない。つまり、貧困、少子化、格差が予想以上に深刻で、市場が凝り固まった余裕のない状態になっている。地球温暖化対策も、車のEV化などの「SDGs」もこの状況を変えるニューディールにはならないだろう。
波頭はこの状況を更に深掘りするのがAIだとと予見する。人工知能と訳して、囲碁で名人に勝ったとかいう単機能型をイメージするが、あと30年もたてば「シンギュラリティ」と呼ぶ技術的特異点に達して、人間の能力を超える。計算能力や、知識の総量で勝負しようとしても、絶対に勝てない。仕事がなくなるのだ。しかし見方を変えれば、人間はほとんど働かなくても現在の生活水準を享受できる生産力は獲得できるということ。問題はどう再分配するか、社会保障にどう振り向けるかだ。手を打たないと、地すべり的に1%の絶対的勝者と99%の敗者という奴隷社会に陥るだけだ。
それを回避するために「文学部の逆襲」に期待を込めている。キーワードはホモサピエンス(=賢い人)から、ホモルーデンス(=遊び人)への変身。副題に「人文知が紡ぎ出す人類の大きな物語」とあるが、資本主義の自由闊達さを活かしながら、民主主義の平等を確保し、そのうえで実存の1回しかない人生をどう生き切るか。この難しい命題に応える文学部ということになる。
仕方がないので、わが同期で見てみよう。何といっても日大芸術学部中退のⅠであろう。20歳前後からの欧州放浪。自由ボン大学に遊び、今も仏の片田舎で農業に従事し、日が暮れれば近所の友人とワインを酌み交わしている。早稲田大学文学部の同期Tは学生運動にすべてをかけ、挫折のあとは不動産業でしぶとく生き抜き、「起きて半畳寝て一畳。天下取っても2合半」と動じない。東京芸大邦楽部のNも、落語の出囃子でデビューし、三味線を外国人に手ほどきしながら、端唄の稽古に励んでいる。一筋縄でいかない、厄介なのが多い。どんな逆襲劇になるのか想像できない。