田中康夫が知事選で勝ち残っていたら、北陸新幹線の開業は遠のいていただろう。ひょっとしたら、世紀の愚策として、ひとり新幹線建設断念をねらっていたのかもしれない。長野で用地買収が難航していると聞いてはいたが、「世界」6月号「いかにして脱“脱ダム”は行われたか」を読んで、迂闊にも初めて真相を知ることになった。
06年8月当選した村井長野県知事は、すぐに「脱・脱ダム宣言」を唱え、田中が凍結した浅川ダムを建設する、と方針を変えた。旧ダム計画は「脱ダム宣言で白紙となった」とし、治水専用の穴あきダムに方式を変え、当初の400億円よりもコストカットし、場所は同じだが、似て非なるものだと強弁した。そして新規事業ゆえに、公共事業評価監視委員会をすっ飛ばしてしまった。単なる前任知事への意趣返しとも思えない。なぜ、そこまでと誰しも思うが、背景に北陸新幹線の用地買収と密接に絡んでいたのだ。
新幹線建設がどうして、浅川ダム建設と結びついてしまったのか。浅川と千曲川の合流地点に近い長沼地区が問題の地域で、線路用地の買収対象3キロがかかっている。加えて、新幹線車両基地を同地区にある「自然遊水池」を埋めたてて建設する計画となった。浅川の水が千曲川に流れ込めずに逆流し、宅地や田畑に浸水してくる内水被害に同地区は永年苦しめられてきた。自然遊水池を車両基地に転用すれば、さらに水害がひどくなるのではと懸念した住民は、この解決がなければ3キロの用地買収に応じないとした。焦る長野県は、上流にダムを建設して貯水すると提案し、その懸念を封じ込めた。93年、車両基地を受け入れる条件として、「2000年度までに浅川ダムを早期に完成させる」との確認書が交わされた。
ところが田中前知事が「脱ダム宣言」をやって、建設を中止したために、約束違反だとして交渉に長沼地区は応じていなかった。この3キロのために、長野―金沢間の14年開業ができないという事態になっていたのである。村井知事は切羽詰って、打開に打って出たというのが真相である。
河川工学の今本博健京大名誉教授は「河川改修で十分、洪水対策も可能。なんであんな所にダムを造るのかさっぱりわからん」と断言している。知事はこの忠告に、「お話はよく理解できる。しかし政治判断でやらざるを得ないのです」と声をふりしぼっている。
長野県民はこれらの事態をどう思っているのだろうか。長野新幹線での地元負担、在来線しなの鉄道を第3セクターで持たされた赤字負担があり、その上に北陸新幹線部分の負担が追加されてくる。長野―金沢間の総事業費約1兆6000億円で、長野県の負担が約640億円。更に直江津―長野間並行在来線の第3セクター分が加わり、更に更に浅川ダムの県負担分3割で、ほぼ100億円がかぶさってくる。現在でも長野県の借金返済の重さは、北海道、兵庫に続くワースト3となっている。
懲りない“われわれ”と自嘲するしかない。本州四国架橋で愚かにも3ルートを建設し、どうにもならないまま、赤字を垂れ流している現実をどうみているのであろうか。苦し紛れの政治判断で、どれほどのツケがまわってくるか、頭を冷やして考えてみる時である。
それでは、どんな選択肢があるのか、と問われれば、この老人にはいい返すものは何もない。長沼地区の人には、河川改修の選択肢をもっと考えてほしい、とお願いするくらいである。また、富山でも偉そうなことはいえない、規格変更で加越トンネルを無駄にしてしまった。並行在来線維持でも、優れた対策を持ち合わせているわけではない。
堕ちよ!と叫ぶ坂口安吾が急に思い起こされる。そして、悪友がいう。「お前にひとつだけ褒められるとしたら、苦し紛れの再婚をしなかったことぐらいだ」。再婚には、それほど大きなツケがまわされてくるのか、しばし考えてみた。そういえば、クレジットカードを再婚相手に作ってやって、その処理に困り果てたという話は聞いたことがある。脱再婚宣言ということにしておこう。バカヤロー、お前には全く必要ないことだ。そうらしい。
脱・脱ダムと新幹線