ビジネス・インサイト

ユニクロが、一橋大大学院に委託して社内ビジネスクールを開設するという。海外展開を一気に拡大して、日本発の「グローバル・リテーラー(小売業者)」を目指し、11年からの10年間で、売上高を5兆円にする新事業戦略に挑戦する。現在の約7倍の売り上げだが、そのためには人材発掘、育成がカギを握ると判断した。もちろん売り上げの6~7割は海外となり、とりわけアジア重視は当然で、日本人だけでなくアジア各国からの人材も含めてほぼ200人程度を5年かけて教育していく。想像だが教育費は10億円は下らないと思う。柳井正・会長兼社長は「世界の社員の誰にでも門戸を開き、経営者の入り口まで育てた後は自己責任で経営を実践・経験させる」と意気軒昂だ。教育費こそ次なる成功の原動力だと確信しているようにも見える。こんな報道を見ながら、なぜ、一橋大大学院が選ばれたのか、に思いを巡らせた。正式には一橋大学大学院国際企業戦略研究科である。00年に京都大学の医系大学院とともに、少数精鋭の専門職育成を目指す政府方針で、スタートしている。
 得意の我田引水である。グローバルとローカルをつなぐ時は、地縁が重要なファクターとなる。この一橋の大学院開設にかかわったのは竹内弘高・国際企業戦略研究科長であるが、彼の師筋にあたるのが野中郁次郎・名誉教授である。余談になるが、あの暗黙知(ゆずりは通信74参照)を確立した人といった方がいいかもしれない。日本軍の組織を経営組織の視点から分析したのが名著「失敗の本質」だが、その著者紹介で、野中教授が富士電機に入社してすぐに、富山県滑川市にある北陸電気製造に出向しているのを見つけた。「一度滑川で、講演をお願いできないか」となり、つながりが出来たのである。
 さて、このふたりとも一橋卒ではない。竹内は国際基督教大であり、野中は早稲田である。優秀であり、必要であれば、自分の大学にこだわらない。地方大学には、特にこの点をよく見習ってほしい。10月1日、林文夫東大教授が定年を待つことなく、57歳でこの大学院に転じた。異例のことと報じられているが、大学間競争もそんなレベルに達しているといっていい。
 ビジネススクールのもうひとつの側面だが、受講者のインサイトだ。ホンダの車ではない。文字通り眼識、看破力である。英語や論理的な思考にどれほど優れていても、この能力は別のものだ。新しいビジネスモデルに、ビジネス・インサイトは欠かせない。ヤマト運輸小倉昌男、ダイエーの中内功、セブンイレブンの鈴木敏文などがその実践者となる。もちろんこれらの事業はケース教育の教材になっているが、受講する中で、事業課題を解決する“ひらめき”を感じるかどうかである。それまでに悩みに悩み、問題意識が沸点に達しているかどうか、能楽の序破急にも似て、急展開する激しいひらめきだ。ビジネススクールでどんなに成績が良くても何にもならない、10億円を投じた柳井が、200人の成績に関心など持つはずがない。経営の実践に、どう生かされるかだけである。
 「長らく大学で教えていると、田舎出身の学生の地頭の良さ、忍耐強さ、志の高さ、素直さは、本当に大切な資産だと思います。が、英語力を身につけることのシリアスさを実感していないため、スタートが遅れるのが本当に残念です。大学は専門教育機関化していくので、高校までの基礎学力の獲得がますます重要になるでしょう」。一橋大学・山下裕子准教授から、こんなメールをもらった。425号で紹介した神通会報を通じた縁である。田舎出身学生が、いまひとつのところで抜け出せないもどかしさに、何とかならないものかという教育者の悩みでもある。実は彼女の指導教官は伊丹敬之教授である。野中の弟子筋だが、独自の人本主義を掲げ、経営改革を訴え続けている。その伊丹教授の厳しい指導をかいくぐってきた彼女の自負に、抜け出した何かを感じることができる。
 イノベーションは何も技術分野に限らない。経営というシステムでも創造的破壊は可能であり、小さな企業にこそ求められているといっていい。ユニクロだから、と諦めないで、小さなビジネススクールは居酒屋でも可能なのである。暗黙知は居酒屋で軍歌を歌う中でこそ伝えることが可能なのだ。「ねえ、野中さん」。
 参照/「ビジネス・インサイト」(石井淳蔵著・岩波新書)

© 2024 ゆずりは通信