「生き直し」

 張本勲、享年86歳。森本レオ、享年83歳。最近の訃報だが、この年齢が気になる。かくいう筆者は8月30日が、81回目の誕生日だった。ひとり静かに杯を傾けただけだが、正直な気持ちをいえば「あと数年か」のフレーズが去来した。「次はない」という前提で、これからものごとを決めていかねばならない。

 そんな悲観に落ち込んでいたところに、子安宣邦(こやす・のぶくに)の「生き直し」(光文社刊)が出現した。本の帯には「88歳→大恋愛」「89歳→再婚」「ただいま92歳」、「新居で新婚生活満喫中」「お相手は〝疼くひと〟の松井久子」。これでもかと子安宣邦の痴態ぶりをひけらかしている。子安に向かって、昭和思想史的にも意味ある文芸作品にしましょう、と唆(そそのか)した光文社編集陣の思惑がモロに出ている。中央公論新社刊行の「疼くひと」を何としても超えたい思惑である。老年のとば口でうろたえる筆者たちに、もう一度おとなの恋愛をして、性愛の極致なるものを体験し、「生き直して」あの世へ行けといっているのだ。さて、その思惑は当たるのだろうか。

 子安といえば、連れ合いである子安美知子が思い浮かぶ。ドイツ文学を早稲田で教え、シュタイナー教育を日本に紹介した。残念ながら2017年に亡くなっている。宣邦は思想史家として、大阪大学などで教え、精力的に論壇に投稿してきた。どちらかといえば地味な学者であり、シュタイナーなる輝く旗を掲げる女房を裏から支え、家事育児に忙殺される日々であった。教授職を辞してから自ら市民講座に精力的取り組んでいた。

 知人から「疼くひと」の著者・松井久子が自分の講座を受講すると聞き、すぐに「疼くひと」に目を通した。性愛に溺れるようにのめり込んでいき、70歳の女性のうちにひそむものを知らされる。想像外のことであり、また性愛とは縁遠い真面目さであった。いつしか松井久子の術中に落ちて、奔放な性を突きつけられる日々となった。そして、いわば松井久子のシナリオ通りにふるまっていく。こう述懐している。

 「孤独な老人」と己れの行く末を思い定めていたところを、「生身のひとりの男」として生き直すことを私に決意させてくれた。こんな性愛の喜びが人生の最後に与えられるとは、心からありがたい、という感謝の言葉でもある。

 さて、高齢な読者諸兄諸姉は、どう反応するだろうか。こんな事例もある。80歳の知り合い男性だが、3年前に愛妻を亡くしたのだが、小学生時代の初恋の相手と同棲を始めた。もちろん彼女も未亡人だが、不足なところにピースを当てはめる感じで、生き直しという選択をしている。「朝ごはんがおいしい」と言うことばに、生き直しの幸せがほとばしっている。

 無味乾燥に見える超高齢化社会に希望を与える切り札になるかもしれない。連れ合いに早く亡くなってほしいと願う妻たち、夫たちが増えることは間違いない。

 

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