「ポーツマスの旗」

 県内最大の書店・文苑堂豊田店に久しぶりに入った。BOOKSなかだ本店の常連からすると、浮気している気分である。客の入りはボツボツで、書棚の整理も行き届いている。書店の仕事のほとんどは本の入れ替え。売れない本を取次に返本し、届いた新刊本に入れ替えるのだが、これを開店前にやらなければならない。これだけのスペースを管理するのは、大変な労力だ。広い駐車場などの固定費に加えて、人件費、光熱費と想像以上の負担だ。いつしか手ぶらで帰るわけにはいかない、と思うようになった。

 そして、手にしたのは新潮文庫の「ポーツマスの旗」、副題が「外相・小村寿太郎」。著者はご存じ吉村昭。証言、資料を周到に徹底的に取材し、緻密に構成していく。記録文学、歴史文学の新境地を確立したといっていい。これなら読み切れると即断、しかも800円。これで免罪されるのだから、自分ながら、けち臭さに呆れる他ない。吉村の手慣れた筆力に感心しながら、一気に読み通すことができた。

 さて、日清戦争に引き続き、小国が立ち向かうしかなかった日露戦争。砲弾が底をついて、戦争をこれ以上継続できない状況での講和会議だ。小説の書き出しは、日の丸の国旗を買い漁る国民の姿だ。開戦直後からロシア軍を終始圧倒し、思いがけない戦果に国民は国旗を軒先に掲げ、小旗の国旗を手にのし歩いた。日露間の国力差は歴然としているが、多くの国民は戦争継続を望み、勝利が続くものと思い、講和には消極的だった。多額の賠償金とロシア領土の割譲は当然という空気だ。桂内閣の外相であった小村は、駐米大使であった高平小五郎とともに全権委員を引き受けざるを得なかった。薩長土肥が全盛のなか飫肥藩(宮崎県)出身の小村は不遇な時を過ごしていたが、長州出身の桂の大抜擢で外相に就任した。今更逃げるわけにはいかない。国民の怒りを買うことも覚悟のうえで、引き受けた。講和会議に出発する横浜港は皇族、全閣僚、全幕僚などあふれんばかりの激励壮行となった。「帰国する時には、人気が全く逆でしょうね」と小村は桂につぶやいた。

 結果は、ロシアは一切の賠償金を支払わず、樺太の南半分を日本の領土とし、中国東北部の権益は日本に譲渡する、というもの。日本軍の首脳はとにかく講和を急げ、と急き立てた。一方、こんな講和は受け入れないとする国民は暴動化し、日比谷焼打事件では、戒厳令が即刻施行され、死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名を超えた。

 ポーツマスでの交渉を担ったのは、日本全権の小村寿太郎外相、ロシア全権はヒュッテ、加えて講和斡旋に乗り出したルーズベルト米大統領の3人。ポーツマス―東京間で訓電がひっきりなしに行き交う。外交官の厳しさは想像外である。体力、知力のすべてを集中させなければならない。

 小村はホワイトハウスで体調を壊し、ルーズベルトが帰りの車を呼び込んだ。小村の体調は回復することはなかった。本懐を遂げたという思いだったのだろう。

 外交官はどうか、と問われれば、英語の成績表をみせるしかない。

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