初めて預金通帳を持ったのが新湊小学校の子ども預金。新湊信用金庫の通帳で毎月預金の日があり、先生が集めていた。大変な作業だったと思う。1955年頃のことで、卒業時には1万円を超えていた記憶がある。通帳を持ったのは給与の銀行振り込みが実施された時である。やむを得ず持たされたといっていいい。
さて、その日本の貯蓄が2000兆円を超えると聞いて、戦後80年の資本主義の激しい変遷を思った。一部の富裕層と大企業をリタイアした世代が所有しているのだろうが、金利1%としても20兆円の利子所得が生まれる。戦後まもなくの働け!働け!の掛け声で働き続けた大衆から、この不労所得を思うと「搾取・収奪」という縁遠くなった言葉が思い出される。つい先ごろまで国際競争力だの、生産性指数だのと叫んでいた産業界の風景も遠い昔のことになってしまった。もう貯蓄は要らないとばかりに「貯蓄から投資へ」の掛け声も、自信が無さそうで、果たして行き着く先はどうなるのだろうか。
思えば2000年ぐらいまで「法人資本主義」と呼ばれ、株主の持ち合いや系列化によって日本企業は、配当や株価を気にせずに長期的な視点で経営することができた。長期視点での研究開発や投資も行われ、試行錯誤も恐れず、それが企業競争力の源泉となり、炭素繊維などの新製品も生み出していた。ところが2000年を転機として「株主資本主義」が台頭、株主の意向を重視して株価の上昇や高配当という短期での成果が競われ出した。自社株買いやリストラも平気で行い、ひいては製造業の衰退に直結していった。日本のGDPの7割がサービス業で、製造業は3割と大きく変化した。
そしてやってきたのが「レント資本主義」。2000兆円を活かした地代、家賃、利子、配当などを、政府なら社会福祉に充て、個人なら老後の生活資金に充てる。しかし、持たざる個人や中小企業はやっていけない。しかも直前の円安相場で、海外利益を円転換した企業に莫大な利益をもたらした。つまり持てるものは更に持つようになり、持てないものは更に持てなくなるという格差拡大という結末。更にいえば、レントの受益を維持し続けられるのは、軍事的かつ外交的に優位に立てる覇権国家だけということも忘れてならない。トランプの出現は、これに拍車をかけるということ。
根本的な解決策は革命だが、手直し策としては大企業及び富裕層への課税を強化するしかない。世界の潮流からしても、フランスは社会保険料引き下げの財源として「一般社会拠出金」を導入し、社会保障目的税としている。課税強化で、海外に逃げ出すという企業や、個人が出現しても構わない。そんな時代が来ている。
この論は月刊「地平」11月号の諸富徹と三宅芳夫の対談からの引用だが、政治経済学の新しい知のリーダーの出現に期待したい。