「日本の人類学」

 ものごとの真贋を見定めるには、人類学の視点が欠かせない。そう思えてきたのは、山極寿一・京都大学総長の存在が大きい。戦後生まれの初めての総長で65歳。ゴリラから人類や文明の起源を探っている霊長類学者だ。人類学は「狭く深く」というより「浅く広く」。前者の典型が物理学で、後者が人類学ということになる。特に京大理学部は物理帝国主義で、人類学はその科学性に疑問を持たれ、役に立たない学問として下に見られてきた。今西錦司や梅棹忠夫を輩出していても、少なからず蔑視される風潮が残っているらしい。初めて山極の論考を目にしたのは昨夏(8月19日)の朝日新聞で、科学季評欄に「細菌との共生」をテーマにしていた。人間の腸内には1000種類の腸内細菌が約500兆から1000兆個存在し、重さは1.5キログラムにのぼる。これらの細菌が病気を防ぐ働きをしている。抗生物質を用いて病気を治したはいいが、共生細菌を死滅させてしまい、かえって免疫能力を減退してしまうことがある。アトピー性皮膚炎や、花粉症、うつ病なども抗生物質、抗菌剤の過度の使用で腸内のバランスを崩したのが原因ではないか。赤ちゃんは胎児の間は無菌状態だが、産道を通る時に細菌のシャワーを浴び、細菌の共生体としての道を歩み始める。地球は細菌の惑星ともいえる。彼らを排除するのではなく、共生することを心掛けないと、人は滅びてしまう。というものでいたく腑に落ちた。古希を過ぎると、この腸内細菌の声が聞こえるようになる。特に抗がん剤だと悲鳴になる。友人の医師は妄論というが、この声を聞き分けていのちを全うしたい。

 というわけで、山極寿一と遺伝人類学の尾本恵市・東京大学教授の対談集「日本の人類学」(ちくま新書)を楽しんでいる。ほぼ200万年前、アフリカの熱帯雨林から草原へと出て行って、類人猿にはない何かを踏み越えた。植物食という霊長類の特性から外れて、肉を食べるようになった。植物のある場所から離れることが可能になり、どこにでも行けるようになり、モンゴロイドは酷寒のベーリング海峡を超え、南米大陸に移り住んだ。更にコストの高い臓器であった脳が、高栄養の肉から余分なエネルギーを得て大きく成長し、言語を操り、二足歩行で両手が空いて、道具を開発していった。その後さらに文化、文明という大きな境界越えが始まる。

 文化というのは、ある新しい行動様式が遺伝によらず、他の個体に伝播していくことと定義する。より良い仲間との社会関係を作った者が次世代を多く残すことになっていく。そうした文化を統べるシステムが文明ということになる。ふたりの放談は次第に熱を帯び、ここ20年余りで袂を分かつようになってきた自然人類学と文化人類学を統合し、「人間はどこから来て、どこへ行くのか」の問いに人類学として答えを出そうではないか、ということに落ち着く。

 そんなところに1月31日の朝日新聞で、文化人類学者の伊藤亜人・東大名誉教授が「北朝鮮 人々の生活は」と題し、的確に北朝鮮の人々の生活を提示してくれた。ジャーナリストではない人類学者というのが味噌だ。インタビューなどに見られる誇張がない。伊藤は70年から韓国南端の珍島に住みながら、日常生活を観察してきた。その中で脱北者に探し出し、北朝鮮の社会主義化の過程を見てきた60代後半から70代の約40人に、学校や職場、地域での生活体験を手記の形で何回も書いてもらい、家の構造や集落、農作業の様子などを絵に描いてもらったという。

 こうまとめている。国難や国益という言葉をむやみの使うのは、危うい。国家という壁の向こうにある人々の生活が見えなくなる。北朝鮮は社会主義独裁のもとでの特殊な社会とはいえ、どの人間社会にも共通する生活の現実が見える。いずれこの体制は持たなくなる。日本もひとごとではありません。難民の受け入れや南北統合のための支援も必要です。北朝鮮の人たちを東アジアの地域社会の一員として迎え入れ、多様性を認め合いながら共存してゆく。そのためにも等身大の人々が見つめること、そして人道の視点は欠かせない、と。

 さて、アベ政権からは攻撃的な主張しか聞こえてこない。アメリカを通じてしか世界を見ない。そんな視野狭窄な政治家に、人類学者からの声を聞かせてやりたいものだ。役に立たない人類学こそ閉塞を破るキーを握っている。何よりも地に足が付いているのがいい。

 案内です。2月20日午後2時~3時30分、文苑堂富山豊田店の多目的室で「ワンコイン読書交流サロン」を開きます。どなたでも参加できます。都合よければぜひ!お詫び訂正=2月24日としていましたが、2月20日が正しく訂正をお願いします。

 

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