この人のことだけはぜひ伝えておきたい。「東京に立ち並ぶビルが地中にのめり込んでいく。そんな悲惨な風景を想像して打ち震えることがあります。関東大震災がいつ起こるかわかりません。正直いえば縄文弥生の遺跡あとを住まいとするのが一番なんです」。20年前に、魚津の若林忠嗣・日本海電業社長と一緒に東京海上研究所に下河辺淳・理事長を訪ねた時にぽつりとこぼされたのだが、妙に心に残っている。日本民族がこの列島の上に100年、200年と生き続けるためにどうするのか。5次にわたる全国総合開発計画のすべてに関わってきた人が漏らした言葉だけに、今夏に亡くなられた今、ぜひ伝えておきたいと思った。
下河辺を訪ねたのは、東京海上研究所でボランタリー経済をテーマに研究会が発足し、その集大成が「ボランタリー経済学への招待」(実業の日本社)として刊行されたので、講演の依頼のためであった。ドラッカーが、第一セクターの政府に対して第2セクターが企業だが今、第3の新しいセクターがアメリカ経済で重要な役割を果たす時期にきていると説いていた。非営利であるNPO、NGOなど第3セクターが活動するボランタリー経済で、非営利といってもコストを掛けられない第3セクターでは意味がなく、政府や企業よりも優秀な人材を集め、経営能力を高めなければならない。公務員やサラリーマンであっても、社会や市場の変化に気付くのは個人であって、その個人が問題提起し、対話して変化に対応していこうとしているのが現実である。つまり個人がキーを握っていて、いわば個人の裁量権を大きくしないと変化に対応できない。「企業は内部の情報コストが安いから企業として組織される」というのが定義だが、内部も外部も情報のコストが同じなら、もっとオープンなネットワークが可能になって、特に環境や社会的な問題解決に第3セクターの存在が不可欠になるのではないか、という論である。多彩な人材が執筆して、その必要性を説いている。
その時、現実主義の下河辺はこんなことも話してくれた。東京海上は損保の仕事だが、損保の代理店は地域で仕事をしているので、ボランティアで町内活動にも精を出して、その町内の損保をまとめて受注するようになれば、それだけでやっていける。町内規模が300軒くらいであれば、損保に限らず、車のシェアや、宅配の町内一括受け取りなどいろんなことが考えられる。社員に自由を与えて、社会的なボランタリー活動をどんどんいしながら会社の営業につながっていく。どうです、おもしろいでしょう。
自発する経済とコミュニティというは発想だが、この逼塞する社会の壁を突き破っていくのはこれしかない。グローバルの対極にあって、ローカルの生き生きしたセイフティネットでもある。政府がまるで音頭を取る働き方革命なるものは、その本質が全くわかっていないので、似て非なる現実を招くのは間違いない。現場からの自発的な提案があってこそである。103万の壁を150万の壁にしてどうだ、といったレベルでは変えられるわけがない。
最近の若い官僚はかわいそう、委縮していると嘆くのが下河辺の口癖だったというが、官僚体制をまるで奴隷のように使って恥じない一党独裁や多選首長の罪は実に重い。絡み合う日米、憲法、退位問題を前に、もうそろそろ目覚めてのいいのではないだろうか。
東京・神保町にある本屋・信山社がつぶれたという。界隈書店街の崩壊につながるのではないかと危惧する。時代が大きく変わろうとする予兆でもある。衝撃だが、ひるんでいるわけにはいかない。
ボランタリー経済