文房具のセトで、ペンクリニックをやるというので、古い万年筆を持ち込んだ。胴軸に亀裂が入って、キャップが空回りをするので、この万年筆ももう寿命かと思っていた矢先であった。電話をすると予約制だという。万年筆に執着する人間が意外に多いらしい。パイロットのペンドクターグループに属する人が応対している。専門家らしい説得力のある話しぶりで、接着剤で補修をするか、部品に在庫があれば取り換えるか、ということになり、補修を選んだ。万年筆を手にしながら、これは丸善オリジナルですがパイロットで作ったものです。当時の定価で2万円くらいだと思います、と何ともフレンドリーな会話を楽しんだ。
実はこの万年筆は20年前に、国際科学技術振興財団の今村和男専務理事から、EUと富山を結ぶプロジェクトを無事終えた時にもらったものである。角田房子が著している「責任 ラバウルの将軍・今村均」(新潮文庫)の今村大将こそ専務理事の父上だ。太平洋戦争時、孤立無援となったニューブリテン島ラバウルで、10万人の将兵を正しく導いてその命を守り、戦後は自ら望んで部下たちのいる収容所に入り、その後も自ら築いた「謹慎所」で生活して、戦死者の冥福を祈り続けた軍人である。
いい機会なので、人徳の今村均の人柄を示すエピソードを紹介したい。かつて最強と恐れられた「ラバウル航空隊」も、戦争末期すでに満足な飛行機も艦船もなく、10万の将兵はなす術もなく、士気を喪失する状況の中で、今村の打った手が凄い。ものごとの本質を穿つというのはこういうことを指す。将兵たちを励まし、総員を戦力化する軍事訓練と、島全体を要塞化するための地下工事を推し進め、地下要塞の全長は実に東京から岐阜県大垣間の距離に及んだ。さらに糧食を枯渇させないための「現地自活」も具体的に進め、「畑は一人200坪耕しなさい。鶏も一人10羽ずつ飼いなさい」と命じて、広大な耕地が生まれ、これなら100年戦争もやれると最後まで意気軒昂を保った。これを知った連合軍はラバウル攻略をあきらめざるを得なかった。抑止力とはこのことであろう。
今村はその後、戦犯として軍法会議にかけられ、巣鴨プリズンに収容されるが、部下たちが劣悪な環境のニューギニアのマヌス島刑務所にいることを知ると、翌年、自ら望んでマヌス島に移った。それを聞いたGHQ司令官のマッカーサーは、「日本に来て以来、初めて真の武士道に触れた思いだった」と語ったという。これもアベクンに知ってほしい。
さて、万年筆の思い出はもう一つある。学生時代に変なきっかけから、宮崎・延岡出身の西武百貨店に勤める女性と知り合って、別れる際にプレゼントとしてセーラー万年筆をもらった。学生さん、勉強しなさいよという意味である。ほろ苦いものだが、記憶の片隅にあって思い出されてくる。
朝日新聞の6月4日朝刊で、万円筆で特集しているのが目に入った。パイロットの「カクノ」が発売1年半で100万本超売り上げたと知って、需要というのはいろいろな創意工夫で産み出されるものだと改めて感じた。「いつかは、モンブラン」ということで、背広の胸に差し込んでいたが、これも懐かしい。丸善も万年筆の縁で通いだして、マナスルシューズでなければならない、という時期もあった。時は流れたというべきか。
さて、参院選の前哨戦は始まったが、どんな風が吹くのか。風に乗るためにはどうしたものか、虎視眈々というところである。
万年筆