ワーグナーと光太郎。純粋さにひそむファシズム

イスラエルで建国以降初めてワーグナーが演奏されたという。聴衆のひとりが演奏に抵抗して大きな声で暴れ出し、会場から連れ出されたという事件を添えて。ご存じヒトラーは無類のワーグナー好き。あらゆる祭典で演奏され、大衆はそれに酔わされた。自殺する最期の時にもワーグナーが流されていた。私の知り合いにも、寝ても覚めてもというのがいる。純粋で、真面目でやさしい、とてもとてもヒトラーのかけらも感じさせない。ファシズムとは無縁どころか、その対極にいる恐妻家。ワーグナー愛好者でもいろいろなのだ。

これに倣えば、高村光太郎も。戦前に戦意発揚に彼は協力しているという。後年これを反省して、敗亡と挫折を認め、岩手県花巻で農耕自炊の隠遁生活を7年。「道程」もいいが、「秋の祈」が大好きで、学生時代に代々木から原宿までの公園伝いにこれを口ずさみながら歩くのを楽しみにしていた。光太郎愛好者もいろいろなのだ、と思いきや。これは違うのでないか。その時大きな疑念が。いやひょっとして、あいつにも、俺にも、ファシストの血が流れているのではないかと思いいたった。弱者ゆえの強者願望。純粋ゆえにすべてを同じ色に染め上げたい願望。

あの ヒトラーもどこかで間違わなければ、純粋でおとなしく目立たたない男で終わっていたのかも知れない。最近の世相を見ていると、まるでヒトラー待望論さえおきかねない状況である。∧まじめ∨∧純粋∨∧やさしい∨が危ないらしい。というよりも独裁を育む土壌というべき∧利益誘導∨∧恫喝またはお涙頂戴∨∧仲間はずれ∨∧忠誠心競争∨。これらを組織の中に、体質や文化として持つところは待望論どころか、実際に招来しかねない。どこかの組織で、既に親衛隊が育っているかもしれない。

独裁者はそれ自身で出現するのか、それとも周りの忠誠心競争が生み出していくのか。はてさてどういうものなのだろうか。

ここまで入力したところで、洗濯機のぴーぴーという終了音。狭い我が家だからこの書斎から遠くない。一時中断である。この時、ファシズムを防ぐ最大の解決策がひらめいた。そうだ。炊事、洗濯を各自がやることなのだ。ヒトラーも茶碗を自分で洗い、パンツも自分で干す。光太郎もごみの分別を自分でやり、隣の奥さんと朝の挨拶を交わしてごみ出しをする。そんな生活から、他人を抑圧するファシズムは生まれるわけがない。隣のごみ出しおじさんが、ワーグナーの演奏を背に大演説しても誰も信じはしないだろう。まず家庭内ファシストを追放せよ、だ。山一も、そごうも独裁者を任じる社長たちにも、そうさせるべきであったのだ。夫人にも若干の責任あり、ということか。

家事を済ませた男たちよ。さあ心置きなく、ワーグナーを聞こう。高村光太郎の詩を吟じよう。

「秋は喨喨と空に鳴るーーー」。2013

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