「おい貴様らいつまで話をしているんだ。ここを何処だと思っているんだ。地獄の1丁目といって、2丁目のないところだぞ。そこへ一歩間隔で一列に並べ」「今から気合を入れてやる」と初年兵掛かりの金田上等兵の鉄拳が両頬に飛んできた。昭和7年、徴兵検査を甲種合格した父は金沢工兵第九大隊に入隊し、第1中隊第1班に配属された。21歳の時である。班は沖崎軍曹を班長として、上等兵4人、古兵(1等兵)8人、新兵12人の合計25名編成であった。父の手記からの引用だが、これが悪名高い内務班である。
8月14日東京新聞「本音のコラム」は竹田茂夫・法政大学教授が「組織としての日本軍」と題してペンを取っている。
「自衛隊を軍隊にするというが、懸念材料は山ほど出てくる。旧日本軍は大切な教訓だ。軍事的敗北は経営戦略の失敗と見立てる議論があるが、国民的基盤と組織病理の方がもっと深刻だ。侵攻した先では軍律違反のはずの略奪・放火・強姦・殺戮は兵士の抑圧感情の捌け口として黙認された。私的暴力は仲間にも向かう。内務班とは30人程度の兵士の共同生活の場であるが、将校も口出しできない掟が支配し、凄惨なリンチやいじめが公然と行われた。内務班は命令系統がエアポケットで、恣意的な暴力が許される私的領域だったわけだ。
逆に天皇制のたがが外れると、各部隊内で軍事物資を配分し日本軍はあっけなく消滅した。米軍への抵抗は全くなかった。虚像の皇軍は損得ずくの私的整理に分解し戦後が始まる。
教訓は何か。かりに集団的自衛権の行使が法律となっても、国民的合意がないのに実際の戦闘を誰が担うのか。さらに、一連のいじめ自殺で明るみに出た自衛隊の隠蔽体質や私的制裁にどう対処するのか」。
経営戦略の失敗と見立てたのは野中郁次郎らの「失敗の本質」であり、組織病理は野間宏の「真空地帯」、大西巨人の「神聖喜劇」、五味川純平の「人間の条件」であろうか。いずれも大長編で、大学生協の書棚で求めた。最も長くやったアルバイトは東京都清掃局で、ごみ収集車の後ろに乗ってごみ集積場での積み込む作業である。その収入を手にすると、授業をサボった免罪符のように本を買っていた。大長編をいざと思って挑戦するが挫折するばかりだった。しかし下宿の書棚に存在するだけで心満たされていた。
父の手記の続きである。盧溝橋事件勃発の数ヶ月して召集令状が来て、京城第20師団に動員される。分隊長を命じられ、天津から北京攻略に向けての掃討戦に加わった。そして山西省曲沃県城総攻撃で、城門爆破の命令が分隊に下る。悩んだ末に妻帯者を避けて、実行班3名、予備班3名を選抜、それぞれ爆薬を背負って、銃弾飛び交う中を匍匐前進する。全員が固唾を呑んで見守っている。城門を目前にした時、「分隊長、上月がやられた」との叫び声に振り返ると頭部を撃たれたらしく真っ赤になって倒れているがどうしょうもできない。いま少し進んだところで点火を命じ、「飛び込め」と叫び、もんどりうって城門下に倒れ込んだ。意識はそれまでで、集中砲火を浴びて、左上膊部、左大腿部、左人指し指が炸裂した爆弾に抉り取られ、全身に鮮血を浴びていた。気がついた時に「爆破は成功したぞ、よくやった。工兵の華だ」と中隊長に賞賛された。その後野戦病院から陸軍病院を転々と療養が続く。
さて集団的自衛権の国会論争だが、アベクンは戦場で戦死者が出た時にはどうするか、その覚悟を問われて、「めったにそういう判断はしないし、そうしなくてもいい状況をつくっていくことに、外交的に全力を尽くしていく」とかわした。組織病理はいま確実に首相官邸を蝕んでいる。
組織病理