「色は空 空は色との 時なき世へ」。これは過日亡くなった市川團十郎の辞世の句である。息子の海老蔵は葬儀の席上、「色」を「いろ」、「空」を「そら」と読み、「父を愛してくれた人が空を眺めた時に父を思い出してくれたらありがたい」と語ったという。明らかに誤りであろう。海老蔵はまだまだ未熟で、父の深い苦悩を理解していない。これはもちろん「般若心経」にある「色即是空 空即是色」の理を指しており、「色」は「しき」、「空」は「くう」と読むべきである。
この世は空しいものである、しかしこの世以外に生きるべき世界はなく、この世をしっかり生き切ることこそが生を享けたものの定めだ。そんな仏教の奥義を自らにいい聞かせ、大きな苦難をも引き受けてきたのだ。「時なき世へ」とは、いま死ぬのだがこの死をもって無限の輪廻転生(りんねてんしょう)の流れに入っていく。生死一如、敢然と死を引き受けていくからな、愚息よ、よく見ておけ!と詠んでいる。こう海老蔵に諭しているのが、梅原猛である。(北陸中日新聞3月12日「思うままに」)
團十郎は19歳の時に父・11代目團十郎を亡くし、海老蔵を襲名して「助六」や「勧進帳」など市川宗家が引き継ぐ「荒事(あらごと)」を見事にこなし、38歳で12代目を襲名した。團十郎の名跡を継ぐというのは相当な重圧である。歴代の團十郎をみると、初代は殺され、8代目は自殺し、3代目と6代目は22歳で早世している。12代目も苦労は絶えなかった。57歳で白血病を患い、義父の保証人となって巨額の借金を背負い、近くは海老蔵の暴行事件など地獄のような日々であったに違いない。外面的な栄光と裏表の内面的な無間地獄。その光と闇が交錯する虚しい夢のような世界を、仏教の教理に従うように生きたのが12代目團十郎ということになる。
さて、1ヵ月遅れて毎年読書(といっても、最近は積ん読なのだが)の指針にしている「月刊みすず」1.2月合併号が届いた。心ある学徒はうめきのような声を挙げている。聞いてほしい。
政治・経済的権力による民衆の生活環境の破壊はある種の歴史的必然である。原発の惨状にもかかわらず、ふたたび原発を推進し、瓦礫焼却を全国で行い、TPP参加によってすでに虫の息の第1次産業を扼殺する政策が、社会の軍事化と軌を一にして、公然と、体系的に実行されようとしている。私たちは「純粋戦争」の渦中にいる。防衛するべき土地を破壊され喪失した民衆の抵抗は、どこで、いつ、どのように敢行されるのか?と鵜飼哲(フランス思想)。この時代をどう解読し、より人間的な世界の輪郭を提示できるのか。この気の遠くなるような、しかし今正面から手がけないととんでもないことに手を貸してしまうかもしれない、と勝俣誠(アフリカ地域研究)。放射線障害という内部被爆も含めればその帰結が極めて長い時間に亘って影響を持つ分、直接因果関係が確定しにくいことをいいことに、あたかも何もなかったように装う国家。支配階級が自分自身を守り、弱者や大人しい人々が周辺に追いやられるような国家。いまわれわれの眼前で展開されているのは、そんな国家の風景だ。見るに忍びない。われわれはもうだめなのだろうか、と金森修(哲学)。
それにしてもと思いつつ、梨園の清清しい最期を聞くにつけ、海老蔵とは安倍政権のことではないか、と思い至った。さあ、空を見てください。世界3位の経済大国がいままた復権するのです。その色は輝いています。と、日本の国益をアメリカに差し出している安倍首相の時事漫画が脳裏に浮かぶ。
そして、ちょっとうれしかったこと。わが亡妻の親友・堀江節子さんの「日本人になった婦人宣教師」(桂書房)を「月刊みすず」70頁に、鈴木裕子・女性史研究家が100年前に富山に赴任したカナダの宣教師マーガレットの足跡を丁寧に追っていると評している。
色即是空 空即是色