ご存じ寅さんシリーズの31作目。こんな脚本を書いてみたい、と痛切に思った。BSテレ東が毎週土曜日に寅さんをやっている。5月25日放映のマドンナは何と都はるみ。ワインを取り出し、トマトを薄めに切ってモッツアレラチーズをのせて胡椒を振りかけ、固めのフランスパンを用意して、至福の時間を過ごすことができた。「ローマの休日」のオマージュというが、さわやかな笑いが心地いい。31年生まれの山田洋次と40年生まれの朝間義隆がビールでも飲みながら、こんな展開の方が面白いだろうと書き上げたに違いない。年間ほぼ2作で26年続いた松竹のドル箱だ。1983年のこの作品は円熟と新鮮な切れ味に15万人が感動し、これまでと変わらぬ興行収入10億円を記録している。「この住み辛い世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか、伝えられない真実がある」。これこそ山田洋次と渥美清が一貫して追求してきたもの。今年の暮れに、「男はつらいよ50、おかえり寅さん」(仮題)を上映するというが、我らが希望とは別に大きな障害が横たわっているように見える。
この31作目の良さは、ヘップバーンならぬ都はるみの好演に尽きる。新潟は出雲崎の港町、佐渡の戻る漁船に乗せてくれとせがむ寅に、私も出来たらと便乗してくる。さりげなく出る佐渡おけさがいい。亡妻が96年の暮れから半年、新潟県立がんセンターに入院していた時、近くの信濃川会館に泊っていたが涙ながらに佐渡おけさを口ずさんでいた。佐渡の海に沈む夕陽が胸に染み入ってきたことも忘れてはいない。佐渡の木賃宿「吾作」の設定も抜群にいい。小さな孫娘が料理を運んでくれる。寅とはるみがにっこり微笑んで、また酒が進む。世間では、はるみのツアーが軒並み中止になり、失踪したことがうすうすわかり始める。何となく気付いてはいるが、そんなことを素振りも見せず気ままにふるまう寅。そんな寅のやさしさに心が晴れていくはるみ。やがてプロダクションの社長らに突き止められ、元の世界に戻っていくのだが、得心がいった表情がいい。最大のハイライトが葛飾柴又「とらや」を訪れたはるみが、近所から押し寄せるみんなを庭先に集めて歌う「アンコ椿は恋の花」。 舞台の取り合わせが歌を輝かせている。絶妙の演出に心の底から、人生の肯定感が湧き出てくる。
もうひとつ添えておきたい。芥川賞作家の中上健次が「天の歌 小説都はるみ」を著わしているが、中上の故郷・和歌山の十津川河川敷でコンサートを開いている。明治22年に大洪水があり、村が壊滅した住民が北海道の新十津川に移住したという歴史を持っているのだが、そこに響く絶唱は被差別の中上と在日の父を持つはるみはそんなつまらぬ差別に負けてたまるか、てめぇらにわかってたまるか、と叫んでいる。佐渡といえば、田耕(でんたがやす)が起こした太鼓集団・鬼太鼓座も忘れ難い。
30歳の時に初めてアメリカを旅したのだが、どういうわけかワシントンからボストンに向かう夜行列車アムトラックの中で同行の水間英光と「北の宿から」を繰り返し歌っていた。いい思い出である。
いま一度「寅さん」を創り出そうとしても、社会が受け入れないだろう。映画産業そのものがデジタル簡便化の中で大きく変質し、インフラともいえる上映システムが東宝に独占されて、製作側にお金が落ちない。そうこうしているうちに松竹、東宝から映画監督がいなくなり、映画を支える職人たちがみんな消えてしまった。そう思うと、余計に寅さんが懐かしく、心から癒される。
トランプに寅さんを見せたら、どうだろうか。「おい、トラよ。弱いシンゾーだけを相手に悦にいるんじゃないよ。駅前のもつ焼きでやり直そうぜ」「寅さんよ、あいつは本当は好きじゃないんだ。はいつくばってばかりで、アメリカでも軽蔑される男なんだ。でも世界で俺をまとも相手にしてくれる奴がいないのでね」