鏡花文学賞

金沢の東に女川ともいわれる浅野川が流れている。その河原は江戸時代より多くの見世物小屋がひしめき、夏の納涼期などは特に大変な賑わいをみせていた。背後に大きな寺院群があるからでもある。ご存じ「瀧の白糸」はここが舞台である。その河原沿いに主計町(かずえちょう)茶屋街があり、そこから暗闇坂を上り、久保市乙剣(おとつるぎ)宮の境内を抜けるところに泉鏡花記念館がある。小ぶりで、幻想的な鏡花ワールドが演出されている。

11月14日。第31回の鏡花文学賞授賞式が行われた。今回の受賞は丸谷才一の「輝く日の宮」と桐野夏生の「グロテスク」。わが鑑識眼も捨てたものではない、と少なからず得意にさせてくれた。文学賞開設から尽力の五木寛之が「第1回の半村良に始まって、これほど受賞者に恵まれた文学賞はない。今回は特にそうだ。丸谷の才能、力量はまさに仰ぎ見る存在であり、桐野のグロテスクは鏡花の『蛇食い』に通じる」とあいさつする。続いて選考委員を代表して村松友視が、いかにも丸谷に気後れしているのがありありと選考経過を述べる。「両作品に通じるのは現代に生きる女性。取り上げ方が対照的だ。桐野のそれは事件を絡めとっての手法で、小説的エネルギーに満ちている。丸谷は硬質でありながらエンターテインメントにあふれ、試み、企み、実験が随所にあって、小説家に勇気を与えてくれた」。

注目の丸谷才一の登場である。大正14年生まれというから78歳。文壇の大御所的な雰囲気ではない。文学青年がそのまま文学老年へ、という感じだ。しかし原稿を手にしていて、そのまま読むではないか。この違和感、ひょっとしての疑念が沸く。高野聖を冒頭にからめ、義経500年を記したという奥の細道の大胆な仮説、源氏物語を縦横無尽に渉猟し、日の宮の欠落を企んだあの才気も、この年齢にして自らの記憶力に自信がなくなったのか。どうか原稿に眼を落とさず、度忘れしたっていいではないか、ちょっとぶざまも見せてくれ、内心そう叫んでいた。ところが敵もさるもの。自著「文学史早わかり」からの資料、A4コピー2枚を配布し、聴衆を前に講義を始めるではないか。紀貫之、藤原定家、正岡子規を説き、森鴎外、泉鏡花をして文語体から口語体への転換を成し遂げた、と。みんなメモを取り出すから、一瞬大学の教室かと見まごうほどであった。村松が畏敬し、気後れするのもわかる気がした。

続いてが桐野夏生。生まれて3歳まで金沢に。昭和26年生まれの52歳。デビュー10年の節目に、回る灯台の明かりが暗闇の中の私の作品に光を与えてくれたようで、とてもうれしい。両親は既に亡くなっているが金沢での文学賞と聞いたら、喜ぶと思う。パソコンの前で四苦八苦している毎日。小説を書くというのは、暗い洞窟に入っていく作業。暗くて出口が見えない。編集者も出口で待っているからね、と突き放す。グロテスクは週刊文春に1年半にわたって連載したもの。生きるというのは、苦しく辛いものだけれど、一面こっけいでもある。そんなところを描いていきたいと殊勝さをみせていた。

このように派手な授賞式だが、泉鏡花記念金沢市民文学賞の授賞もあわせて行われる。今年が高嶋筍雄(じゅんゆう)氏の句集「桐の花」。開業医にして俳人である。93歳。平成3年に長男を山岳事故で亡くした時の「滑落死椿の葉芽は槍のごと」がいい。そして「傘寿とて膝汚さじと冷奴」。高島さんの壇上での品のいい呆けぶりが、何ともよかった。

さて、総選挙も終わって1週間だが、随分遠いことのように思われる。絶妙のバランス感覚とはいえ、何ともいえない虚脱感だ。後世の人はこの選挙をどう評するのだろうか。その虚脱感にめげず金沢大学の実践的地域経済学講座に通っている。学ぶというのは妙に人間を満足させる。とことん学んで、ちょっと臥せって、あっさり死ぬ。これに尽きる。

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