人生にはいろんな試練が襲ってくる。真っ暗闇の世界から永遠に抜け出せない失明という恐怖、いや絶望である。小心な老人には人生からの退場しか思い浮かばないが、そんな厳しい試練に立ち向かう人たちがいる。といっても悲壮さを微塵も感じさせない、むしろその現実を素直に受け入れて、見えていなくても十分に感じ取っているから、大丈夫といっているようにも見える。三宮麻由子が描く「感じて歩く」(岩波書店)だ。これは多くのシーンレスの励ましになっているに違いない。
シーンレスは彼女の造語である。風景がないという和製英語だが、マイナスのイメージの障害をニュートラルな特色としてとらえたいという思いが込められている。幼稚園入園の直前だった。ウイルスによる炎症で光を失った。眼圧が上がり、それを下げる手術をした時で、歩くと物にぶつかる現実を前にしても、4歳の少女は走るのも跳ねるのもやめず、流血の惨事を引き起こし続けた。光とさよならしたことをはねのけたかったのである。
彼女はブログ2度目の登場である。8年前のバックナンバー218「神様の箸休め」で紹介したが、現在も外資系通信会社に日々通勤しながら、実家近くのマンションに一人住み、自炊生活をおくっている。
こんな逸話を書いている。彼女が上智大学でフランス語を始めた時である。最初はできないからとみんな助けてくれたけれど、自分より私ができるとわかった瞬間に離れていった友だちがたくさんいました。そこで残ったのが本当の友だちだったんです。「自分よりできる麻由ちゃんを私は支えていくから」と彼らは私をリスペクトしてくれたわけです。この場合のリスペクトは、あなたは凄い、偉いということではない。手伝ってあげるという行為に、上下優劣ではない相互の尊厳があるということ。やってもらっている側の気持ちはものすごく大変なのである。そういうとやってもらえるだけでありがたいではないか、ということになりかねない。一緒に生きるユニバーサル社会の本質的な部分でもある。
筑波大学附属視覚特別支援学校幼稚部に入園して、片手の掌を手前にして軽く前に伸ばし、もう片方の手で壁を触りながら「ゆっくり」歩く基本動作を覚え、小学2年で白杖の使い方を覚えた。私の視野は1.2メートル先まで開けたといい、白杖は次々に地面の感触を伝えはじめ、地面を踏みしめて歩く楽しさで胸が弾んだといい切る。「音源定位」とは、対象物の位置を「見ないで測定する」技術で、耳を研ぎ澄ませて獲得する。そして歩行補助具としてハイテク機器が次々と登場している。
そして、うれしい話だ。バックナンバー44「失って見えてくるもの」で紹介した魚津出身の石川准静岡県立大学教授に言及している。シーンレスで東大合格第1号で、憧れの大先輩ですが、シーンレスが「こんなのほしかった」と叫んでしまうパソコンソフトを次々に編み出している。そしてついにというか「不案内な場所を安心して歩きたい」という夢を実現してくださったのが携帯情報端末を使ったGPSナビゲーションシステムです。脳内に地図といい視力が生まれて、ユーザーがたしかに取るべき道を取っているかどうかを知らせる「ルートに乗りました」というメッセージが出る。ちょっと価格が高いのが難点だが、まだまだ開発途上ということだろう。
はてさて、失明の原因は02年の調査では、緑内障、糖尿病性網膜症、加齢性黄斑変性症、網膜色素変性症などとなっている。わが友ドン・ホセもそのリスクは相当高い。真のユニバーサル社会への道は険しいが何としても進めなくてはならない。「麻雀に付き合っているのはこちらだ。それだけでもありがたいと思え」とつい貧しい品性が顔を出す。隗より始めよ、とはいうが・・・。
「感じて歩く」