早稲田大学第2文学部

 11月14日、小杉ラポールでドキュメンタリー映画「インディペンデント リビング」を鑑賞し、これをプロデュースした鎌仲ひとみの講演を聞いた。まずは映画紹介を少しだけ。舞台となったのは大阪の自立生活センター。重度の障害があっても生活ができるようにサービスを提供するが、同時に障害当事者がサービス提供者となって、自らの経験を活かすとともに、自分にもともとあった力を取り戻していく。1972年カリフォルニアで誕生し、86年に日本でも試みられ、今では全国に121か所に広がる。映画監督の田中悠輝は91年生まれ。重度訪問介護従業養成研修を経てヘルパーとなり、さる障害当事者から「俺の介助者をやらないか」と誘われて、合い間に趣味のカメラを回していた。そんな時に出会ったのが鎌仲ひとみで、彼女の「ぶんぶんフイルムズ」を手伝う。2018年に応募していた文化庁の助成金が決まり、翌年に完成しなくてはならなくなった。鎌仲が見ておれないと、初めてとなるプロデューサー役を買って出ることになる。

 映画はさて置き、映像作家・鎌仲ひとみに焦点をあてる。講演が面白かった。58年生まれだが、波乱に身を任せ、自由奔放に生きているように見える。その原点は富山・氷見に育ち、早稲田大学第2文学部入学にある。2文は夜間というがさにあらず、昼夜関係なく授業に出席でき、大学に収まりきらない多彩な人材が集まる。タモリ、吉永小百合、辺見庸などだが、早稲田は2文で持っていた。鎌仲は探検部に所属し、8年掛けて卒業しているがほとんど授業には出ていないはず。友人の自主映画を手伝ううちに、自分は映像に向いていると感じて一直線。世間知とは真逆の無法地帯の感覚である。今は2文が無く、文化構想学部となっている。早稲田が早稲田を捨ててしまったといっていい。

 鎌仲は卒業すると、小泉修吉の「グループ現代」と助監督契約を結んで経験を積んで6年後、文化庁の助成金でカナダに渡り、その後ニューヨークのメディア・アクティビスト集団で活躍した。帰国後、NHKなどで「ヒバクシャ 世界の終わりに」など代表作となる核を巡る三部作を作り、更にイラクを取材する中で、「内部被曝」について警鐘を鳴らし続ける。放射性物質を体内に少量でも取り込むと、体の内側から放射線を浴び続けることになる。イラク、アフガニスタンなどに投下された劣化ウラン弾が子供たちを小児白血病に追い込んでいる。その事実をアメリカは国際機関を通じて隠蔽し、日本政府などはまるでお墨付きをもらったとばかりに福島県で発生している小児甲状腺がんを問題にしない。

 そして講演の中で、鎌仲自身がイラク、チェルノブイリ、福島などの取材で放射性物質を取り込み、子宮がんに罹患したことを打ち明けた。子宮摘出直前に切らない、と叫んで手術を拒否し、セルフメンテを選択し、身体の奥底からの声を聞き、対話をしながら、免疫を高め、日常生活を送っている。そんなこともあり、長年カメラを担当してきた岩田まきこと一緒に長野県辰野町の古民家をクラウドファンディングで購入して移住し、民宿と野菜販売にチャレンジし、黒字にしている。

 また、反原発で東電、政府批判に転じるのではないかと作品に口出ししてきたNHKとは今後仕事はしないことにした。これを聞いた早稲田1文卒の小泉修吉は当面のイラク取材費だと850万円の小切手をくれた。

 女の一生のダイナミズムを見る思いだ。

 参照/「内部被曝の脅威」(肥田舜太郎 鎌仲ひとみ)ちくま新書

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