踏絵して生きのこりたる女かな(虚子)。踏絵と聞くと、生命を賭して試されるという殺伐な情景だが、俳句では春の季語である。寛永5年から安政4年まで長崎奉行所で行われたというが、花鳥風詠とは程遠いのに、抗うことをしない従順な民族ということで、いつしか風物詩のようになってしまったのであろうか。踏むことに何の痛みも感じなくなってしまった日本人の、のっぺりとした覇気のない顔が浮かんでくる。
いま踏絵と聞くと、文科省の職員がその現実に直面しているのかもしれない。白を黒といわせる権力がむき出しにして、人事権なる刃を突き付けているようにみえる。脅す方も、脅される方も顔に表情がなく、自らを消している。自分を生きていないから、言葉も生きてこない。綸言汗のごとし。一度吐いた言葉は戻らない。虚なるものを内に抱えて、前に進むことはできない。姑息な手段では、この状況を動かすことはできない。アベクンだけが問われているのではない。あなたも、わたしもすべてが問われている。
「人生の踏絵」(新潮社 1,400円)は遠藤周作の講演集をまとめている。商魂たくましい新潮社が映画「沈黙」の成功をみて、その小説のできるまでの後日談を冒頭に掲げる。66年6月、新宿紀伊國屋ホールでの講演だが、深刻な命題を狐狸庵風に茶化しながら、述べている。60年の初頭に長崎に旅した時に、古い洋館の中に家具調度と並んで、踏絵が置いてあった。聖母マリア像が銅板に彫られ、木枠に嵌められているのだが、あんまりみんなに踏まれて摩耗して黒ずんでいて、威厳のあるキリストの顔ではなく、くたびれ果てた中年男の顔になっていた。でもその時は、その記憶が自分の小説の発端になろうとは思っていなかった。それからしばらくして、外国へ出かけたのだが、その疲れからか2年半も入院する羽目になってしまった。そのベッドで、あの踏絵のイメージが出てきた。自分が仮に江戸時代のキリシタンだったら、間違いなく踏むに違いない。では、その時にどんな気持ちで踏むのだろうかと考えた。そして、調べてみた。殉教した立派な人のことは日本のキリシタン史に詳しく書かれているのだが、踏絵を踏んで転んでしまった人のことはほんのわずかしか残っていない。どうしてないのか。彼らは汚点だと思われて軽蔑され、見捨てられた人間とされている。しかしその状況に置かれたら、多くが踏むかもしれない人間なのだ。彼らを沈黙の灰の中から呼び起こし、沈黙の灰をかき集め、彼らの声を聴きたいと心から思った。併せてそういう迫害時代に多くの嘆きがあり、多くの血が流されたにもかかわらず、なぜ神は黙っていたのかという神の沈黙とも重ねていった。最後に「踏むがいい」というキリストの言葉で終幕にしたのだが、1年半の間この小説を毎日4枚ずつ書いていたが、この踏絵を踏む場面だけは、一晩寝ないで書きあげることができた。書き終えた時は、全力投球で書けたという喜びだった。これはやはり作家が持ち得る最大の喜びだと思いました。誰しも多かれ少なかれ、自分の踏み絵というものを持って生きてきたはずです。そして、われわれ人間は自分の踏み絵を踏んでいかないと生きていけない場合があるということです。
さて、われらが現実はどうか。60歳を過ぎた自閉症の弟の世話をする友人はもう限界だと音を上げるが、社会は手を差し伸べないし、神も黙したままである。テロも辞さないまでに、追い詰められている。これこそ政治の出番であるのだが。
「人生の踏絵」