その女性はテープレコーダーをかざしながら、雑音にしか聞こえないテープを回した。何と英語で話す海外ニュースを3倍速で聞いているのである。外資系の通信社に勤務している彼女の日常の仕事で、それを翻訳して日本語にまとめ、配信しているのだ。時間が勝負の仕事で、ゆっくりと聞いておれない、同時通訳を超えるなんてものではない。その上、驚くことに彼女は視力を失っている。それでもって国家<主席>、<首席>補佐官を使い分け、会議の<招集>、国会の<召集>を難なくこなしている。見えないハンディを抱えての、表音から表意に転換する困難さを考えてみる。そして、気が遠くなるほどの努力を想像すると、こちらが言葉を失ってしまう。
三宮麻由子さん。1966年生まれの38歳。4歳の時にウイルスによる炎症で一日にして光を失った。眼圧が上がり、それを下げる手術をした時だったという。見えなくなったことが理解できなくて、いや理解したくなくて、見えていた頃と同じ勢いで走り回り、生傷が絶えなかった。唯一集中できたのが、お稽古事のピアノと英語。近所に越してきたアメリカ人の英語教師は、眼のハンディを別の才能を開くチャンスに変えようといってくれた。点字も英語も表音文字。耳のいい彼女にしみ込んでいったのである。15歳の時に単身、ユタ州の盲学校に留学をし、磨きをかけている。そして進学したのが上智大学フランス文学科。何とフランス語もこなすのである。
7月4日、久しぶりに森の夢市民大学に出かけた。用件はNHK解説委員の小林和男さんに原稿のお礼をいうことだったが、期せずして三宮さんの講演を聞くことになった。小林さんがぜひ聞いてほしいと連れ出した講師が三宮さんだったのである。プロはだしのピアノを披露し、「鳥が教えてくれた空」を語る。家にやってきたソウシチョウは、私に光の存在を教えてくれた。曇りの日にはさえない歌しか歌わないのに、雲間から少しでも太陽が顔を出すと、たちまち張りのある美しいさえずりを始める。それを聞いているだけで、私はそのときの明るさが手に取るようにわかることに気がついた。鳥が空を教えてくれたのである。それから庭にやってくる野鳥に耳を澄ますことを覚え、まるで眼が見えている錯覚に陥るように、今いる場所を空間として全部とらえられるようになった。鳥は「神様の箸休め」。生態系の頂点の微妙な場所にいる繊細な生き物で、私を耳と手で触れる二次元の世界から、三次元の世界に開いてくれた。そういえば、私自身の存在も「箸休めでないかしら」、と。
そんなさわやかさと反対に、演出された家族の再会がある。これほどショーアップされると、幸せを演じざるを得ないだろう、と気の毒に思えてくる。曽我さん一家のジャカルタでの再会風景。テレビを見る気がしなくなり、新聞はそこだけ飛ばしている。それも参院選投票直前を狙ったドタバタ劇だけに腹立たしい。権力維持の権化となった官邸のさもしさ。選挙民をなめるのもいい加減にしろ、といいたくなる。
最良の選択の中に、大きな落ちし穴がある場合がある。ジェンキンス氏の訴追も、小泉のいう日米間の強固な信頼関係で、なかったことにという浪花節が通用するはずがない。そのために外交エネルギーを費やすのはどうかと思う。一定の訴追は覚悟しなければならない。あと数年歯を食いしばって頑張る姿こそ、共感を呼ぼうというもの。半面、法を曲げさせてまでの幸せはもろい。おせっかいな世論づくりはもう結構。政治も、マスコミも、隣のおばちゃんも、距離を置いて考えてはどうだろうか。
神様の箸休め