8月には破滅のイメージがつきまとう。敗戦後間もなくの雑踏の闇市がそうだ。喧嘩、かっぱらいなど生きるために、すべてをかなぐり捨てた人間がぶつかり合う。とりわけヤクザの抗争こそ先を争って破滅に突き進んでいる。深作欣二監督の「仁義なき戦い」は8月になると見たくなる。怖がり、痛がりのひ弱な性格なのにヤクザ映画にしびれる。「映画の8割は脚本で決まる」というが、「仁義なき戦い」の脚本は笠原和夫が担った。ヤクザ映画への鎮魂曲と題した「破滅の美学」(ちくま文庫)はその筆跡をまとめている。7月19日脚本家・橋本忍が100歳で世を去ったが、奇しくもその前日にファボーレ富山の名作鑑賞で「七人の侍」を懐かしく楽しんでいた。脚本の神髄は「柵の中の牛を毎日毎日見続けて、その急所がわかると鈍器のようなもので、一撃で殺してしまうんです。原作の姿や形はどうでもいい。ほしいのは生き血だけなんです」と喝破した。映画監督がすべてやったように、さすが黒沢ともてはやされる一方で、脚本家など一顧だにされない悔しさの吐露でもある。
この橋本より10歳若い笠原は、東映の岡田茂に才能を見出され、時代劇から任侠路線への転換を一身に背負った。鶴田浩二、高倉健のスターを得ることになるが、情念や言葉が上滑りする軽さに行き詰まり、仁義なき実録路線に突き進むことになる。原作となるのは昭和38年から39年にかけての広島戦争と呼ばれる暴力団抗争で、組員・美能幸三の獄中日記を飯干晃一が記録と照合再編して「仁義なき戦い」としてまとめた。美能の日記は中国新聞の暴力反対キャンペーンが全く事実と違っていると、悔しさの余りペンを握った。サンケイから出版されるが、実名を条件とした。原作はよりリアルなものとなったが、脚本とは「画(え)になるようにする」こと。広島極道の典型とはどんな特質の男か、独自取材でイメージを固めていく。呉の町で長い刑務所暮らしから解放された美能に会う。笑顔ひとつ見せない強面で取材拒否する素振りをみせるが、お互い大竹海兵団出身と分かると打ち解けた。美能幸三は広能昌三と名乗って、菅原文太が演じているのだが迫真の演技である。このように綿密な取材は、登場人物ははっきりとこれは誰のモデルとわかり、そのリアルなすさまじい暴力シーンは見る方を戦慄させる。ともあれ「仁義なき戦い」は73年にスタートし、5部作となって東映のドル箱となってけん引した。ほぼ10年間、深夜興行と称して真夜中の映画館に学生と青年労働者を引き込んでいった。
さて、こんな一コマも笠原の本音だ。真の破滅とは、特攻生みの親である大西滝治郎が唱えた「二千万人特攻」ではないか。天皇が特攻機に乗って日本の最高司令部と共に玉砕していただきたい、そうしなければ日本は絶対にいい形で蘇らない。戦争に責任を持つ成人男子はすべて死んでしまわなければダメなんだ、という全取っ替えという大西の情念に、これぞ破滅の美学といわずして何と呼べるだろう、とあとがきで結ぶ。また、小津安二郎の映画を「幸せな家庭を見るのが嫌だった」と夫人に語り見ていない。もちろん小津作品を支えた脚本家・野田 高梧を誰も口にはしない。
噂レベルだが、NHK大河ドラマの脚本料は前渡しで3000万円といわれているから5000万円前後だろうか。ほぼ1話1時間80~100万円が相場だという。「西郷どん」は原作・林真理子、脚本が中園ミホの女性コンビである。それでも脚本家を目指してみよう。「カメラを止めるな」の成功例もある。
「破滅の美学」