還暦に手が届く年齢になっても、うろたえ、落ち着きのない日々を送っている。憤死する覚悟もない口舌の徒よ、と蔑む声にも、うなづくしかない。あまりの情報を持て余し、あまりの自由を得ているからではないかと思えてきた。いっそのこと獄窓につながれるのもいいではないかと夢想する。
「そこにあるすすきが遠し檻の中(そこにある すすきがとおし おりのなか)」角川春樹
1993年8月29日、コカインなど向精神薬取締法と関税法違反で逮捕された。当時角川書店社長で51歳。1年3カ月余にわたり、千葉刑務所の独房に拘束された。
それはモノクロの世界であり、臨死体験にも似た「生」と「死」の間にあった。鉄格子という「檻」に閉じこめられていたわけだが、考えてみると、人間がこの世に生を受けた時から、肉体という「檻」に魂の「自由」を拘束され、さらに社会や国家という制度によって二重の「檻」に拘束されているわけである。栄光も、自尊心も、形あるすべてのものを奪われた私は、ギリシャ神話のイカロスのように地に堕とされ、絶望した。
刑務所は、徹底的に人間の心や魂を痛めつけるシステムである。陰湿な「いじめ」や精神的な虐待は常に黙認されているからである。刑務所の中で、私の精神が崩壊しなかった理由は三つある。一つは自分の獄中体験を俳句として表現したこと。二つは宗教書を熟読することによって魂の浄化に勉めたこと。三つは膨大な量の読書である。特に読書は、刑務所の中で、唯一の娯楽であった。
彼は入獄の絶望の中で、自らに賭けることにした。13日間の断食に耐えられるならば、大いなる生命に繋がっているということ。それで死ぬならばそれでよし、と。
断食行のあとは、彼は決して希望を失わなかった。むしろ、地獄的な体験こそ、人間の精神を向上させ、魂をみがく最上の機会として、天が与えた試練であると思うようになる。句集「檻」は人間再生を哀しく詠いあげている。そのための1年3カ月は無駄どころか、大きな作品を生ましめたといっていい。もうひとつ。この事件で角川書店を飛び出した見城徹は幻冬社を立ち上げた。
今ひとりいる。「己が身を虫干しに出す死囚かな(おのがみを むしぼしにだす ししゅうかな)」大道寺将司(だいどうじまさし)。1948年北海道生まれ。東アジア反日武装戦線『狼』の実行部隊として、三菱重工本社爆破などを行い、75年に逮捕され、87年死刑が確定した。金沢玉川図書館にぶらりとはいると、いかにも手にとってほしいと書架から光って見えた。「友へ」という句集。序を書いているのが辺見(へんみ)庸(よう)。「解説よりも、年譜よりも前に、まずもって彼の俳句に、できるならば、心を真っ新にして触れていただきたい。胸の奥深くに、密やかに着床する言葉がある。胸底の暗がりを鮮やかに染めぬく句が、きっとある。ひとりの男の、ここが、この句集こそが、魂の在りかなのである」。そして巻末の解説は斉藤愼爾。「すべての人に代わって 叫んでいる一人の声」と渾身の、気迫のもの。大道寺の意志力に驚嘆する。「夏深し魂消る声の残りけり(なつふかし たまぎるこえの のこりけり」。この句は東京拘置所で永山則夫が処刑されたのを聞いて詠んだもの。
さて、臆病極まりない凡愚の身なれば、いかにして法を犯すかである。法を犯さなければ檻の中にははいれない。学生時代に学費学管闘争に遭遇、ノンポリの最後列のデモに加わった時も、機動隊の前に足がすくんでしまった。一人の親友が勾留されたと聞き、何という腑甲斐のなさと長期間落ち込んだ。そして未だにそいつには引け目を感じている。さりとて買春など破廉恥罪というわけにもいくまい。
ということは、わが深く根ざしているかもしれない才能を、ついに開花させずに終わるということか。俳句が作れなくなって1年。わが獄中吟はないということ。なさけなや、なさけなや。
参考図書「友へ 大道寺将司句集」(ぱる出版 1905円)。「檻 角川春樹」(ハルキ文庫 571円)