幸運のエア・シート

飛行機で偶然隣に乗り合わせて、それが縁でトントン拍子に上昇気流という話。意外に多いのである。レベルの低いところではわが同級生。高卒後紳士服のセールスをしていたが、無類のギャンブル好き。韓国でのバカラに入れあげていた。そして韓国行きの飛行機で隣に座ったのが、カツラ販売・丸高産業の社長。度胸と押し出し、野球部キャッチャーの体格を見て、ひとつやってみないかとなり、一度は県内長者番付に名を連ねるまでになった。

松岡佑子の話は心洗われる話だ。同級生のそれとは雲泥の差。彼女は出版社の社長。1979年に夫が設立し、民衆史や闘病記を良心的に手がける。著者と議論をし尽くし、納得するまで書き直しを依頼し、背景資料の誤りまで指摘する編集ぶり。著者の多くは舌を巻き、そして本の仕上がりに満足した。86年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の闘病記を出版したが、これほどの悲惨な患者の状況を放っておけるかと日本ALS協会を設立。自社内に事務所を置き、自ら事務局長を買って出た。14年間の活動で会員を8000人までに増やした。ところが97年に、肺ガンであっという間に逝ってしまった。志半ばの58歳。零細なものであったが、その気高い遺志を継いだのである。夫の出版にかけた情熱を自らの情熱として打ち込む。彼女は同時通訳者としても超一流で、30年のキャリアを持つ。それを生かした邦訳「英日国際会議用語辞典」の刊行が99年。そして社長就任後三冊目の出版で、神の思し召しとしか思えないことが起きる。

最愛の夫に先立たれて、心の癒しを求めてロンドンへ旅立った。数年前、飛行機の中で偶然隣り合わせた英国人夫妻ダン・シュレシンジャーとアリソン夫妻を訪ねたのである。その後もお互いに訪ねあい、すっかり仲良しの友人になっていた。その訪問での夕食後、彼らは書架から分厚い一冊の児童書を取り出してきて、「いま英国で一番話題になっている。あなたが翻訳して、ぜひこの版権をとるべきだ」と勧めてくれた。彼女はすぐに読みはじめ、一晩で読了。「私が探していた本はこれだ」と、震えるほど感動し、翌日、エージェンシーに電話を入れ、日本で出版したい旨伝えた。日本の大手出版社3社から、既にオファーがはいっていた。しかし、自分で読んでいる強み、その感動をストレートに表現できる語学力、熱意あふれる交渉で、3ヵ月後承諾を得た。その夜夫の遺影の前で、「あなたのおかげで版権がとれました」と報告した。そして直ちに友人たちを集めて、編集・翻訳チームを組織した。99年の12月、満を持しての出版は、夫の3回忌に間に合った。

ご存じ世紀のベストセラー「ハリー・ポッターと賢者の石」の邂逅秘話である。第5作にして世界での販売部数は2億3000万冊。おそらく日本では2300万冊。作者であるJ.K.ローリングの昨年の年収は230億円という。そして第7作まで続く。まさに出版界では奇跡と呼んでいる。

昨年末「出版社大全」(論創社 5000円)が刊行された。日本で一番古い吉川弘文館から幻冬社まで120社が取り上げられ、その盛衰が綴られている。この静山社も後の方でこの秘話も含めて紹介されている。時代が映し出されていてとても面白い。

学生時代に出版事業研究会なるサークルの周辺でたむろし、就職に際しては集英社の内定ももらっていた。もし集英社にはいっていたら、月刊「マーガレット」の編集長ぐらいには納まっていたかもしれない。

さて、エア・シートのエピソードだが、こんな話もある。どうしてもソニーのトップに会いたいと考えたベンチャー経営者が、そのトップのアメリカ出張をかぎつけ、同じ飛行機のファーストクラスに乗り込んだという。狭い空間での10時間。チャンスはいくらでもできる、そのための100万円くらいとする意気込み。これは賞賛に値する。あの空間でいろんなドラマを生まれているのである。

わが初夢も海外だ。ちょっと落ちてビジネスクラスだが、米国大富豪の未亡人をゲットできるかもしれない。

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