復興モデル「総有」

聞き慣れないが所有権に関係する。個別所有権、また複数が所有する共有まではわかる。ところで総有だが、共有と同じ複数の所有であっても持ち分権をもたない。私が関わる医療法人も基金として拠出したが、持ち分はなく配当もない。しかし、この総有は単なる所有形式ではなく、何か世の中を変える哲学的なものを示唆しているのだ。いま東北復興事業の切り札になると提唱しているのが五十嵐敬喜・法政大学教授である(世界6月号)。市民事業である「町づくり公社」と結合させて、地域の土地を全員で総有し、運営し、利益を配分していく「総有の町づくり」こそが現代的生存権を確保していくと論じている。
 五十嵐が疑問視するのは陸前高田市の例だ。同市は7万本の防風林がなぎ倒され、たった1本の松しか残らなかった。いま震災前の人口25000人を元に戻すとして、市の一般予算が108億円であったのを10倍の1019億円にして、防潮堤、国道、鉄道、公営住宅、学校、病院とこれでもかとばかりに公共事業につぎ込んでいる。中心になっているのが区画整理事業で、その広さは3480ヘクタールと人口34万人想定の多摩ニュータウンを超えている。津波で陥没した土地のかさ上げも行われるので、その費用は膨大で列島改造を思わせる。最大の難問は区画整理に対象となった個別所有地の換地が希望通りに行われるかどうかである。そこまでして出来上がった町が、果たして東北の風景に合っているのかという大きな懸念も残る。
 一方、石巻市の白浜復興住宅はどうか。自らもすべてを失った建設業・熊谷産業の熊谷秋雄が、お仕着せの仮設住宅に抽選で入居者を入れるという国や自治体の形式平等主義に怒りを覚えて一念発起し、自力で近くの高台に木造一戸建ての賃貸建築を作った。原木供給、製材、プレカット、設計施工を行う14社が任意団体を構成し、自ら施主及び施工業者となって進めた。そして地元大工の軸組み工法で合計11棟が建ったのである。これを被災者の家族、職業、収入などを考慮して家賃を決め、賃貸している。14社の任意団体が総有の主体であり、国や自治体が行う公共事業とは違う市民事業であり、文字通り「総有の町づくり」の実践となっている。
 更に「現代的生存権」だが、膨大な復興資金が用意されているのに、その資金の大半がインフラ整備や一時しのぎの資金に使われ、現在厳しい生活を余儀なくされている被災者に全く届いていない。個別所有権を絶対的なものとして、そこに税金をつぎ込むことはあり得ないとする旧来の考え方では、生存さえ危ぶまれるのに手を差し伸べられず、立派なインフラが整っても誰も生きていない皮肉で愚かな現実が現れることになりかねない。法務省も国土交通省もこの個別所有権を絶対的な前提として、執拗にこだわり続けている。自民党政権の国土強靭化政策も、この延長戦にあることは間違いない。
 考えてみると、個別所有にこだわり続ける「一世帯一住居」というシステムもこの時代に果たして合っているのだろうか。人間を器の中に閉じ込め、エネルギー、食糧、介護などなどを全部他人任せにして成り立っている。どれだけ稼いでも追いつけない自転車操業だ。3.11はこれまでの生活のありようを冷静に考え直せといっている。そうした意味では、総有の行き先にある地域の未来像を、被災地に限らずそれぞれの地域でデザインする時期にさしかかっているともいえよう。
 そして最後に、水を差すようだが、思い出すのは83年に富山産業展示館テクノホールが出来た時の話である。この運営を富山市内の店装業者が共同受注できる協同組合をつくることになった。その時、有力企業の宝来社の荒井三郎社長は仕事が無責任になる、と協同組合に加わらなかった。結果は協同組合が配分をめぐって瓦解し、その危惧通りとなったのである。
 確かに個別所有に比較して、総有には欲望する原初的なエネルギーが出て来ない。分配でも公正が期せるかどうかわからない。何よりもリーダーの品性が問われることになる。
 それでも「総有」にしか未来はない。そう思い定め、覚悟を決めていくしかない。老人はそう確信する。

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