「師匠、どうです。ひと月ばかりの予定で満州にいってもらえませんか。三千円出しますし、それに向こうにゃ酒がまだウンとあるそうですから」。こんな口車に乗せられて、いや自ら乗った風で、三遊亭円生と古今亭志ん生は演芸慰問団の一員として満州に渡った。「酒は私たちがなんとでもしますから、この家にいてください」という健気な女房、子供を振り切っての満州行きで、昭和20年5月6日のこと。しかし、まもなく敗戦、二人がいた大連はソ連軍の支配下になる。それから引き揚げまでの600日、地獄の日々が続いた。それでも、笑いをこさえていく修行で遊ぶふたり。食うや食わずの中で、間の取り方がどうの、この話は枕に生かせるんじゃないかと、旅館、置屋、修道院など舞台を変えながらも、笑ってのりこえる。ものは考えようによって悲劇にもなり喜劇にもなる。芝居の力であり、落語の力だ。五代目志ん生こと美濃部孝蔵55歳、六代目円生こと山崎松尾45歳の時だ。
ご存じ井上ひさし「こまつ座」の新作を、角野卓造と辻萬長(かずなが)が演じている。2月19日新宿・紀伊國屋ホール。もちろん完売御免とある。こまつ座会員となってチケットを手に入れることにした。
志ん生は大連から帰国した翌日に、新宿末広亭の高座に戻っている。エピソードには事欠かない。高座で本当に寝てしまい、心得た客が「おい、起こすんじゃないよ。ゆっくり寝かせてやれよ」といったとか。真打になる時に、ご贔屓が身づくろいでも整えよと用立ててくれた二百円を、そのまま呉服屋へ行けばいいものを、そういうところには見向きもせずに吉原に行っちまった。関東震災前の二百円。羽二重の着物に袴、羽織まで一式揃え、半纏染めて、配り物の扇子から手ぬぐいまで揃えてもまだおつりがきたぐらいの価値があった。結局は、汚いなりでの真打披露に。
一方、円生はどちらかというと秀才肌で、金儲けも、そして女にも強い。大連での生き残り才覚では、志ん生をはるかに凌ぎ、度々救ってきた。大連には男は極端に少ない。物心ついた男はすべて徴兵され、ソ連軍が進駐してきてからはシベリア送りとなった。不安と不用心を心配するご婦人に取り入り、大連滞在中だけの期間限定契約結婚をしたのも円生。寄席では志ん生人気に遠く及ばなかった。天衣無縫の志ん生、王道を行く円生という感じだが、若手落語家は円生から学んでいくという。
愛用している金沢・玉川図書館で落語コーナーを見ていたら、落語のCDも人気ですと館員が声を掛けてくれた。久方ぶりに志ん生を聞きたいと借り出したのが「文七元結」と「火焔太鼓」。いまも聴きながら、書いている。
さて先日、駅の改札で一緒になったのが、百貨店を辞めて職を転々としている男。苦労が顔に出ないのがいい。声を掛けて一杯呑むことにした。3歳下だから56歳。慶応大学を卒業して嘱望されたエリートだったはず。心優しきが故に、問屋を泣かせることや、部下を叱り飛ばすことができない。そして息子の不登校と家庭内暴力が引き金になって、これ以上会社に迷惑をかけられないと辞表を出した。今の職は、損保の物損事故調査員。ようやく法学部を卒業した知識が役立っていると笑う。その息子も4年間のブランクの末に大学で学んでいるという。こんな心優しき義侠心がこの世を支えているのだ。
娘を吉原に入れて手にした50両。吾妻橋で50両がないと身を投げようとする若者。「えーい お前の命に代えられない。もってけ50両」。諸君!こんな人情噺に奮い立っていいのでは。
「円生と志ん生」