韓国の映画監督キム・テギュンが、この作品を完成させるために私は存在するのではないか、とまでいい切った。それほどの思いが込められている「クロッシング」は、北朝鮮の“普通の人々”がおかれている惨状を忠実に撮っている。映像は声高に糾弾してはいない。どこにでもある日常を織り交ぜながら、過酷な運命に翻弄されながらも、ある種の心の気高さを失ってはいない。同民族でありながら、どうしてこれほどまでの受難を受け続けなければならないのか。手を伸ばせば届く距離にある彼の地に向けて、安逸をむさぼる此の地から、申し訳ないと赦しを乞うている映画といっていい。
ノンフィクションのようにも見える。それは企画制作に4年の歳月を費やし、脱北者100人以上に会って取材を重ね、スタッフにも脱北者を加え、北朝鮮のいまを撮り切ろうとする執念がそんな錯覚を生んでいるのかもしれない。
クロッシングはこんな展開である。07年の北朝鮮、炭鉱の町に住む3人の家族が主人公だ。その炭鉱で働く元サッカー選手ヨンスには、妻のヨンハと11歳の息子のジョニがいる。貧しいけれど幸せに暮していた。しかし、妊娠中のヨンハが肺結核で倒れてしまう。風邪薬でさえ容易に手に入らない北朝鮮では、特効薬を入手するには、隣国の中国に行くしかなかった。ヨンスは決死の覚悟で豆満江を越える。不法労働では森林伐採作業ぐらいに就くしかない。しかし取り締まりの公安に見つかってしまう、何とか逃げることができたが、追われる身となって思うにまかせない。脱北者として捕まれば強制送還され、それは死を意味している。焦るヨンスに韓国で北朝鮮の実状を話せばカネになるという話が舞い込み、瀋陽の領事館に亡命、ソウルに辿り着く。そこで脇目も振らずに働き、そこで得た金を使って、さる秘密ルートに家族の情報を依頼する。妻は既に亡くなっていて、息子は脱北を企てたが失敗し、子供だけの強制収用所に入れられていることを知る。更にそのルートに依頼して、息子をモンゴルに脱出させ、そこから韓国へ亡命させることを企てる。国際携帯電話で話す父と子は、ウランバートル空港で再会を誓い合う。しかし、息子ジェニは砂漠で道に迷い、遂に力尽きてしまう。遺体にすがりつくヨンスの手から、真新しいサッカーボールがこぼれ落ちる。
衝撃は鍛錬隊と称しているこども専用の強制収用所である。日中は土木工事現場でこき使われ、牢獄の施設では大人数があぐらの姿勢で詰め込まれ、将軍様の教示などを唱和させられる。栄養不足と不衛生で、反動分子のこどもとどつかれる日々である。もちろん大人の政治犯収容所はこの比ではなく、ほぼ20万人が生きて出られることもなく、襤褸切れのように扱われ、死んでいく日々である。程度の差を考えなければ、38度線以北すべてが収容所といっていい。
さて、北朝鮮のいまが最も不安定で危ないとの指摘がある。魚雷による韓国哨戒艦沈没事件に代表されるが、金正日総書記の健康不安、特に判断能力が覚束ない状況になっており、その権力空白に乗じて、さまざまな勢力が蠢いているという。暴発的な戦争リスクも否定できないとするのが、朝日新聞・船橋洋一主筆である。普天間問題から、少し怪しい論調となっているが、韓国、中国、アメリカからの北朝鮮関連報道に目を凝らしていなければならない。和田春樹の大著「朝鮮戦争全史」も手元においているのだが、どんなことがあっても見誤ってはいけない。韓国の自重的なスタンスを支持しつつ、日本は平和的な移行に惜しむことなく努力すべきだと、クロッシングを見て思った。
6月29日、金沢大学付属病院地域医療連携室に、わが医療法人開業の案内を目的に出向いたのだが、そのついでに金沢シネモンドをのぞかせてもらった。その前に、これまた久しぶりに金沢市高岡町にあるそば処「四季の庵」のおろしざるを賞味するという充実の一日となった。
「クロッシング」