経営のマネゴトみたいなのものに携わっているが、悩みや迷いは尽きない。医療法人を立ち上げて3年半、軌道にのったようにも見えるが、大きな落とし穴に気が付いていないのでは、との恐怖も掠める。覚束ないことこの上ないが、これは企業の大小を問わない。パナソニックも、シャープもそうだが、東電にいたっては葉っぱの小船に乗せられて大海を漂っているようなものではないか。そうであっても、最善を尽くそうという思いだけは失ってはいけない。そう信じている。
久しぶりに野中郁次郎・一橋大学名誉教授の聴き慣れたノナカ節に出会った。日本経済新聞8月15日朝刊で、もちろん切り抜いている。知的機動力を生かす経営を、と見出しはリズミカルである。老人流理解でちょっと紹介する。
日本企業の低迷を突き破るのは「知的機動力経営」である。付加価値の源泉である「知識」を高速かつテンポよく創造し、戦略レベルから戦術レベルまで柔軟な構想力と行動力で推し進めていかなければならない。知識は人と人、環境とのダイナミックな関係の中で作り出される。人の思いがないと知は創造できない。それには組織に動的な関係性が生じる「場」があるかどうかがカギであり、場を作り出すリーダーが欠かせない。彼らは、事実と価値、客観と主観、理性と感情、分析と総合を繰り返し止揚しながら、判断し行動する。「機動戦」では、こうした能力を持つリーダーが組織に広く自律分散して存在し、重層的な相似形構造を持つ柔軟な組織が必要となる。その基本単位は、組織を横断し一体化するプロジェクトなどである。
経営とは本来、クラフト(経験)、アート(芸術)、サイエンス(分析)の3つを総合したもので、必要なのはバランス感覚のある献身的な人材だ。人間の主観や価値観こそ重要ということになる。
野中先生、そんなことをいっても周りにそんな有能なヒトはいないよ、という声はもっともだが、それでは前に進まない。卑近な例だが、砺波市庄東地区で生まれつつあるプロジェクトを話しておきたい。
発端は富山YMCAフリースクールの加藤愛理子である。自分の父親と旦那の両親を看るところを、わが診療所とディも経営するポピー村のある庄東地区に定めて空いている古民家を買い取ったのである。それだけで終わらず改築して全国で2例目となるケアラーズカフェを開く。ケアラーとは家族などで無償で介護をする人をいい、そのカフェはそのケアラーを支援する。ランチも提供し、夜は臨時的に居酒屋にもなる。それに呼応して、ポピー村の宮崎村長が程近いもうひとつの古民家を求めた。そこで老人の看取りをするお母さんの家を作るという。そして場ができた。庄東むらづくりプロジェクト連絡会議。その連絡会に29歳、30歳の若者が何と4人も参加してきた。フリースクール出身の大工、風来坊、高岡でNPOを展開するもの、それぞれが夢を語りだしたのである。どうだろう、これも知的とは程遠いが機動力経営のひとつではないか。
人間チョボチョボといったのは小田実だが、この場合の知識とは大学や、大学院で身に付けたものではない。熱い思いに裏打ちされた地頭(じあたま)がよく、勘も働く、潜在能力の高い人材が人と人が触れ合って知識を創造していくのである。まだまだ捨てたものではない。ちょっと勇気を出して前に進もう。グローバルビジネスであろうと、コミュニティビジネスであろうと、原理原則は変わらないと思う。
企業は、野中郁次郎たちが日本軍の組織体質を分析した名著「失敗の本質」をまだまだ超えてない。加えて東電経営者の責任の取り方も、経営の端くれにいるものとして注目していきたい。
知的機動力経営