仏門も選択肢なのだ

いまひとつの選択肢に「出家」もあるのではないか。そんなことをふと思った。

シニアサラリーマンの生活設計読本なるものを手に、外資系の保険会社に転じた友人がやってきた。80歳まで生きるとすれば、いくら必要か、そのために今何が必要か、くどくどと。「おい、ちょっと違わねえか。俺たちの世代がそんな計算していいわけがないだろう。話を変えようぜ。」ちょっと格好付け過ぎたかなと後悔したが、まじめに聞く気になれなかった。

山深い里に庵を結ぶ。読経と読書三昧の日々。晴れた日には小さな畑に手をいれる。食が尽きれば、托鉢に里に降りて行く。そんな展開もあっていいのである。あんまり卑俗に染まらない方がいい。早く死んでいった人間に申し訳がたたないではないか。その前に出来れば挑戦したいものがある。。この体力では不可能に近いと思うが。初めてその事を知ったのは、山崎豊子の「不毛地帯」。シベリア抑留で人間の極限を見てきた男が、千日回峰行に挑戦し、人間の回復をはかる。7年をかける比叡山延暦寺での荒行はこうだ。

第1年目 1日30キロの山上山下の歩く行程を100日。第2年目、第3年目と続け、第4年目からこれを倍の200日に。そして第5年目も200日。700日を満じた後は直ちに「堂入り」。9日間断食、断水、断眠し、念誦修法に専念する。意識朦朧として生死の境をさまよう最大の難行。第6年目 赤山苦行で1日60キロを100日。第7年目 801日から900日まで京都大廻りを1日84キロ、それを毎日。901日から1000日まで1日30キロの山上山下の歩く行程を毎日。以上7ヵ年、1000日で満行となる。これでの称号を得る。この荒行をやり遂げたのは20世紀で11人。2回行っているのが酒井雄哉師。生き仏である。

もし罪無き人を殺めるような犯罪を起こすことがあれば、あるいはとても耐え難い悲劇が舞い込んで来るようなことがあれば、敢然と挑戦するだろう。これまでのわが罪業を考えれば、すぐにでも剃髪、得度して駆けつけねばならないのだが、虚弱にして、高齢ゆえに許されることにしたい。慶応の医学部卒で、あのオウムのサリンを実行した無期懲役の林郁夫にもそのチャンスがあれば、この千日回峰行でもって回復してほしいと思っている。同世代として、彼は気になっているひとりである。

やはり無難をいえば、末寺をあずかること。そして小さな声でしかいえないが、あの貞心尼が出現することである。

死の床にある良寛。心も体ももう消え入りそうな状態。悪寒が走り打ち震えている。その時貞心尼、するっと着物を脱ぎ捨てて、生まれたままの姿で、良寛の横たわる薄い布団に体をすべり込ませる。良寛、燃え尽きようとする生命の限りで、その体温を感じ取る。しばし震えがとまり、つかの間の安息が訪れる。しばらくして良寛、吐く息とも吸う息ともわからずに静かに息絶える。うらを見せ おもてを見せて 散る紅葉。これは良寛の辞世の句。良寛74歳、その時貞信尼34歳。何と貞心尼は40歳も若いのだ。チクショウ良寛、うまいことして死んでいきやがってこの野郎。

わが仏門にはいるとは、こんな下心があるのである。

© 2024 ゆずりは通信