最大の福祉は住宅である。被災地・東北からの声でもある。復興住宅の着工が1%しか進んでおらず、仮設生活なお27万人と聞くと、ひとりで5つの部屋を使い回している老人は肩身が狭い。長く掃除していないと思いつつ、座敷の天井を見上げ、築30年の変遷を思う。結婚をして10年、亡妻に詰め寄られ、持ち家を決断した。親子5人、水入らずの生活はそれなりの幸せを演出してくれたが、長男が進学で札幌に転じ、妻が病没し、次男も大阪に転じ、3男が上京して、築18年であっという間にひとり住まいとなった。住まいもそうだが、独居老人となったこころも持て余す日々が続いている。
あの老人力の赤瀬川原平も、普請道楽と称して二作目となる家を立ててはみたが、75歳になった今、小さなマンションでいいといっている。塩野七生に傾倒しているわが友人も、最近八尾の田舎住まいを見切って、富山市内の市営団地に収まった。彼の場合は新婚生活が市営住宅で、それから子供3人を得て持ち家に移り、退職後その持ち家は長男に譲り、八尾に隠遁したが、終の棲み家としてまたスタート時の市営住宅に戻ったことになる。
こうして見ると日本の住宅政策は、自助努力の美名のもと持ち家を買わせることにより、需要の拡大という経済政策として大きく機能してきたといっていい。背景には終身雇用と労使一体という日本的労務管理があったことも間違いない。
大本圭野・日本居住福祉学会副会長は「日本の諸悪の根源は土地政策と長時間労働です」と指摘する。終身雇用・年功序列賃金が見直され、非正規雇用者が3割強を占める今、多くは企業内福祉から住宅支援が排除されている。一方高齢者や障害を持つ人は、病院や福祉施設が住宅政策の代替機能を果たしてくれていたが、診療報酬カットなどで社会的入院を許されなくなり、長期入院にかわる住まいを自分で見つけなければならない。戦時以来、ずっと住宅政策を自助努力としてきたがために、長期的にみてソーシャルコストがものすごくかかる構造になってしまった。日本の公共投資の7割が用地取得費である。土地はまだまだ高いとすれば、遠くに住むか、都心の狭い、劣悪な住宅に住むかしか選択肢はない。すると “過労死”寸前まで働かざるを得ないので、生活時間は労働と通勤にほとんど取られてしまう。とても地域社会を作っていくゆとりはない。女性も労働市場への進出も当然視される中、地域で残っているのは高齢者と子供だけということになる。市民自治による地域づくりへの転換、変革こそ求められているが程遠い。
はてさてとなるが、東日本震災ははしなくも、自宅喪失というリスクもあることを見せつけてくれた。東京に住む子供たちに持ち家を果たして勧められるだろうか。地震保険にしても全額補償というわけではない。公営住宅を縮小させ、賃貸住宅の供給を市場に任せる一方で、持ち家に対する優遇措置を拡大する今の政策では、買い手となる自己責任リスクは余りに大きく、良質で安価な住宅は絵に描いた餅とならざるを得ない。
解決策だが、ここはやはり被災地・東北で大いなる実験を行うしかない。住宅は公営、雇用は取り敢えずコミュニテイビジネスからという原則で、岩手、宮城、福島の各県100人の女性起業家にプランを出してもらい、それぞれ最低1000万円は国が出資する。新たなコミュニテイを作り出すにはこれくらいやってもおかしくはない。間違っても著名コンサルタント企業が街づくりの提案をし、セキスイ・大和などの大手住宅企業が公営住宅を建設することはあってはならない。どうだろうか。
老人の始末として、築50年の一部鉄骨の店舗が残されている。更地にすればいいのだが、固定資産税が大幅にアップし、愚息たちは相続しないという。おそらく全国で崩落にまかせた放置家屋が数万戸あると思われる。どうしたものか。良心的な余剰住宅の仲介市場が出現して欲しいと望んでいるのだが・・・。
参照/「世界」8月号。
住宅の余剰と不足