「八月に乾杯」。松本克平と命名騒動

「八月に乾杯」。書架の隅に15年眠る本である。副題に「松本克平新劇自伝」とあるが、演劇論がはじまるわけではない。新劇俳優・松本克平を知る人も少ないと思う。新劇一筋の渋い脇役が得意な俳優といったところ。この本の購入の動機は極めて不純で、わが長男の命名に由来する。父親であるわが一字「克」を冠したのである。どんなに進歩的を装っても、生来が保守的で踏襲型なのが、こうした時に露見する。長男の名は「克平」。これを「かっぺい」と呼ぶことに家族から抵抗があった。すぐに田舎っぺを連想するというもの。何とか権威付けしたいと思っていたところにこの本に巡り会った。弘隆社1986年刊(2300円)。長男の出生が1973年だから、13年後ということになる。

一度こんな事があった。義母が大和百貨店の前で友人に会った時、孫の名を告げると「松本克平と同じ名でしょう。素敵な名前よ」といわれて得意になった。これが唯一例外で、あとはみな、父親の頑迷を挙げ、弁解しながら告げている。まったくひるんでしまって「かつへい」と読んだりする始末であった。

この本を手に、本人、妻、両父母に決して軽佻な名前ではなく、「ほれこれを見なさい」と諭した。納得させる効果は十分であった。長男の方は生まれながらに繊細な方ではなく、名前に不満をいうことはなかった。またこれが原因でいじめられることもなかったのであろう。松本克平さんの権威にすがって辛うじて体面を保たれたのである。

さて、松本克平の本名は赤沢義巳。明治38年(1905)年に長野県南安曇の生まれ。この芸名の由来は誰にも話してはいない。亡くなった義父が、この真実を知ったら腰をぬかすのではないかと思う。芸名をつけたのは藤田満雄。といっても知っている人はいまい。優秀な新劇俳優で、あの夕鶴の「お通」役の山本安英さんの夫君。依頼を受けて「お前は信州松本出身だから松本克平にしろ」。そして、声をひそめて「松本KPだよ」と。KPとはコミュニスト・パーティ、つまり松本出身の共産党員という意味が隠されている。以来、生涯この芸名で通してきた。そんなことはもちろん、当方は知る由もなかった。もしこれを事前に知っていたら、当然別の名にしていている。1930年(昭和5年)のこと。その6年前、土方与志と小山内薫が築地小劇場を起こし、築地ブームが湧き起こっていた。劇作家を志していた赤沢義巳はその渦中にあって当然、プロレタリア演劇の最盛期に新劇界に飛び込んでいった。戦前は牢獄を行ったり来たりの生活である。意気と稚気が入り交じって、得意げに「克平」を名乗っていたものと思われる。

8月になると、気になる本なのである。「8月に乾杯」とは一体どんな了見なのだ。日本の8月は、広島、長崎の原爆投下、敗戦、盂蘭盆会と、追悼、慰霊、悔恨、反省で、とても乾杯の気分ではないはずだ。それもそのはずで、ロシアのアルプーゾフの戯曲「古めかしい喜劇」を改題し、俳優座で村瀬幸子と二人芝居にした時に劇名にしたに過ぎない。そんなに意味を持たない。人騒がせな書名ということになる。

ところで、わが長男KPは、命名のわが思い、苦労とはまったく程遠い育ち方をしている。土木を生業とし、小難しいことを考えることはとっくの昔に放棄し、スキーはモーグルなるものに血道をあげ、競馬、スロット、麻雀の賭けごと大好きな単細胞大味人間である。ひょっとして、演劇を志すかもしれないという期待もあったのである。名は体をあらわさない典型だ。

松本克平さん、名前のみ僭称させてもらって申し訳ない。父親として心からお詫び申し上げる。

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