老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の「あなた」です。児童書作家・石井桃子の言葉だが、不遇続きの日々の中で核心をついていると思う。そんな記憶の一つが石井の原作を映画化した「ノンちゃん雲に乗る」である。小学4~5年の時だと思うが、学年こぞって新湊・北陸劇場に出向いて鑑賞した。筋立てなど全くわからなかったが、バイオリンを弾く鰐淵晴子は衝撃だった。ざわついた空気が一瞬静まり返った。初めて見る美少女である。みんな言葉にするのもはばかられると思ったのか、それぞれの記憶にしまい込んだ。後年、写真家・タッド若松が鰐淵のヌード写真集を出した時に、お前もそうかと記憶の確認をし合った。
児童文学などとは全く無縁であった。小学校に図書室があったのかどうかさえ記憶がない。家にも本らしいものはなかった。漫画全盛の時代で、貸本屋が町内にあり、冒険王、痛快ブックなど銭湯帰りに立ち寄って、数人の友達で回し読みするのが常であった。貸本屋はお好み焼き屋も兼ねていて、冬は焼きそば、夏は氷水を食べていた。6年生の連合運動会でのマスゲーム「若い力」も忘れられない。わが子ども時代のありがたさである。そんな記憶を反芻しながら、何となく支えられ、回復しそうになっている。
そこで、取り敢えず75歳まで生きてみよう、となった。健康寿命からしてもそれが限度であろう。60歳でリタイアした時は、取り敢えず70歳までとした。何とか退屈することなく、たどり着けた。その延長戦でしがみついて生きるのは、美学に反する。芭蕉を気取れば「きのふの我に飽くべし」だ。それほど時間は残されていないが、とにかく出直してみたい。
老人の独りよがりの願望に過ぎないのだが、この際だから整理をしておきたい。戦後民主主義の申し子と自任しているが、バブルがはじけて失われた20年が30年を過ぎ、経済構造がすっかり変わり、寄って立つ基盤を失って、幻想のアベノミックスに翻弄されている。異次元の金融緩和の出口を考えると、誰もが慄然とするしかない。経済としての資本主義と政治としての民主主義、あるいはヒューマニズムをどう案配して、格差のない次なる社会システムを創造していくかである。こんな情勢認識のもとで、傍観者としてではなく実在の、個人としてどうするのか。生きる場の哲学ということになる。
花崎皋平(こうへい)の岩波新書「生きる場の哲学―共感からの出発―」を引っ張り出してきた。81年発刊の380円。花崎は北海道大学の教授ポストを全共闘運動に関わり、71年自主退官している。個人としての運動参加に対する始末である。
さて、凡なる老人の始末だが<自分という存在の市場価値>を問うことにこだわっている。資本主義が行き着いたカネ万能の「いま・ここ」に生まれたことに何の責任もないが、「いま・ここ」に責任を持つということは、何らかの仮説を引っ提げて市場にその存在を問うことでもある。単なる押しかけボランティアであってはならない。共感、共鳴を媒介として類を呼び、身の丈のリスクを取って市場に打って出ることである。
この10年は自費出版に定価を付けて市場に問い、「イムニタスマスク」をネット販売し、在宅医療立ち上げに加わった。そんなこんなで何とか凌いできた。リベラルを標榜する人間の生業(なりわい)はどうなのか。そのバランスが取れているのか。真贋の見極めをそこに置いている。エンジンとなるのは、心意気でもある。どんな5年になるのか、それともその前に命が尽きるのか。とにかく8月に生まれたことに乾杯しよう。
絵本や児童書とは縁遠かったが、貧しくとも豊かな「子どもの時代」が記憶にあるというのはありがたい。
8月に乾杯!