12月3日朝日新聞富山ローカル版に「朝鮮植民地支配をテーマに講演会」の見出し。しかも場所は入善町。この絶妙な取り合わせに、わが老体は反応した。手帳を開くと滑川での剣幸コンサートがメモされているが、ためらうことなく講演会を選んだ。6日、お昼は久しぶりに魚津・山久のラーメンにしようと思ったが長蛇の列で駐車場もいっぱい。さもありなんと思いつつ、駅前の大崎酒店へ。久しぶりと歓迎されつつ、主人のワイン事情に耳を傾ける。コロナ禍で高級ワインの需要が落ちて価格は大幅ダウン。いつもは数万円のカリフォルニアワインとボルドー産を9割引きで計6本を車に積み込む。こんな道草も久しぶりだ。
講演をしたのは愼蒼宇(シン チャンウ )法政大学社会学部教授。70年生まれの在日3世だが、とても熱い好漢であった。歯切れがいい。テーマは「関東大震災時の朝鮮人虐殺と朝鮮植民地支配」。漫然と見ていた近代史に、眼からウロコのような視点が突き付けられた。
あの松下村塾・吉田松陰のこの言に集約されている。「取り易き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯・墨に失うところは又土地に満鮮にて補うべし」。魯・墨とはロシア、アメリカのこと。幕末開国を機に不平等条約を強制されたが、そのマイナスを朝鮮を植民地化して、取り戻せといっている。明治維新の元勲たちは松陰の考えをそのまま受け入れ、とりわけ長州閥の伊藤博文、山形有朋、桂太郎などは金科玉条とした。どんな犠牲を払っても、朝鮮をわがものにしておかねばならないと、日清、日露戦争を戦った。朝鮮内部の抗日独立を目指す義兵蜂起なども絶対に許してはならなかった。1894~95年の東学の乱では40万人の農民が日本軍によって殺されるという徹底ぶりであった。1905年に伊藤博文が朝鮮の閣議に乗り込み強要した乙巳条約は、外交権はもとより、内政においても日本人を顧問や官吏を要職に配し牛耳った。加えて警察憲兵化によって民衆への生殺与奪の権を握って、徹底弾圧を推し進めた。
一方、朝鮮への蔑視偏見は度を越えて、日本人に植え付けられていった。琴乗洞(クム ペョンドン)は朝鮮及び日本の新聞を評してこう指摘している。朝鮮国土の秀麗、芸術の美などの報道は皆無で、爆弾、短銃、襲撃、殺傷をあらゆる戦慄すべき文字を羅列して、不逞鮮人の不逞行動と報道している。日本人の意識の中に、黒き恐怖の幻影となって刻み付けられ、関東大震災の鮮人暴動の流言蜚語は、この日本人の潜在意識の自然な爆発ではなかったか?黒き幻影に対する理由なき恐怖でなかったか。恐怖が憎悪のピラミッドを駆け上がらせた。
さて、本論である。とかく国家間の戦争にばかり意識がいくが、宣戦布告なき植民地で行われる日常の戦争をなぜ軽視するのか。東学党の乱、3.1独立運動への弾圧、関東大震災での6600人に上る朝鮮人大虐殺はれっきとした戦争である。長州出のアベに代表される歴史修正主義者は日韓併合は合法であり、朝鮮と日本は国家間での戦争を行っていないので、賠償責任を負わないという。日本社会の官民にへばりついた植民地主義と人種差別は果たして克服することができるか。
01年に行われた国連ダーバン会議は奴隷制や植民地主義を人道に対する罪と認識し、人種差別・外国人排斥の撲滅を中心に移民・先住民・宗教・貧困・人身取引など幅広い問題に言及した。これが世界の趨勢になろうとしている。アジアの孤児、世界の孤児になってはならない。
この講演会を主催したのは「昭和の日記念講演実行委員会」。入善在住の有志で、社会科教師OBによる企画と聞けば納得できる。翌日には宇奈月町にある朝鮮人労働者の「呂野用墓」などを訪ねている。そのテキストとなっているのが「黒部・底方の声 黒三ダムと朝鮮人」(桂書房)。うれしいことである。