詩人・白石かずこは、遠い存在であり、苦手でもある。70年にH氏賞を受賞した「聖なる淫者の季節」は、飛ぶコトバを貧しい想像力で埋めていくことはかなわなかった。31年、戦前のカナダ・バンクーバー生まれというのも違和感になっている。セックス詩人、スキャンダルの女王と揶揄されるが、傷ついたそぶりも見せない。喜寿を迎えて、自分に最も影響を与えた15人の詩人達との交遊をまとめた「詩の風景・詩人の肖像」(書肆山田 3500円)を著した。田村隆一がはいっていたのと、出版社・書肆山田だ。季刊「るしおる」が07年に休刊となったが、その志の高さに敬意を表して、求めた。
最初に挙げた詩人が、アレン・ギンズバーグ。20世紀をさわがせたビート詩の巨星と彼女は評する。ヒンズー教に心服したユダヤ系で、ベトナム反戦運動ではリーダーとなった。無力とされる詩の力によって、選ばれた読者層だけでなく、多くの人々の心に、生き方のひとつの指針と勇気を与えた、と。恋人でもある男と裸で、直立している写真をベッドサイドに置く同性愛者でもあった。88年に「ギンズバーグ・イン・東京」と題して、彼の詩の朗読会が行われている。ジャズ奏者が居合わせて、ジャズに会わせて詩を歌うスタイル。新宿のジャズ喫茶「汀」が始まりという。ジャズの奏法を言葉に置き換える実験的な試みで、彼はハーモニアムを弾きながら、自作の詩をうたう。そんなギンズバーグの紹介の文中で、ナナオ・サカキが飛び出してきた。こんな紹介だ。「日本のと言うよりアメリカのビート詩人と言うべき親族のナナオ・サカキ」。あのじいさんが、となった。実は2年前に出会っていたのである。
06年3月26日、富山能楽堂で「ナナオサカキ ポエトリー・リーディング in 富山」が森のゆめ市民大学特別公開講座で開催された。その時、そんなことも知らずに、コーディネーター役をやっている。市民大学からの頼みは、断らないことにしていたので、気安く引き受けたのだが、今から考えると冷や汗ものである。自然児という奔放さで、こちらの誘導におさまらない。胡弓の若林美智子さんが演奏も引き受けていて、咄嗟に若林さんの胡弓に合わせて、詩の朗読をやってもらって愁眉を開いた。23年1月1日の鹿児島の生まれ。高等小学校卒業後、戦争中は海軍に入り、九州出水航空隊レーダー班長として敗戦を迎えるのだが、その後英語を独学し、ル・モンドのロベール・ギランや鮎川信夫らと親しみ、ヒッチハイクで東北などの原生林の旅に出ている。その時も富山市上市の知人宅に逗留するとかで、漂泊の詩人とはかくや、と思わせるものであった。あとで聞くと謝礼も交通費で済ませたという。
さて、白石と田村の出会いである。わたしにとって、田村隆一との出逢いは衝撃的である。あの17歳のとき、田村の詩「再会」を読まなかったら、どうなっていただろうと思う。「再会」の最後の1行、「あなた 地球がザラザラしている!」。この1行がわたしのエスプリを爆発させた、ひとりの人間を詩への出発へと走らせた、とまでいわせる。刊行記念のパーティで、詩人・吉増剛造は「単なる国際性よりも深く、革命よりもすごい」と最大級の賛辞を贈っている。
とはいえ、一読者としては、<コトバ>の感受性の貧弱さを思い知らされた1冊である。
加えてわが日常だが、酒には滅法弱くなってしまった。25日、40年ぶりで出合った友人ととことん呑んだのはよかったが、記憶を失い、多分玄関先でしたたかに転んでしまった。時計のバンドは引きちぎれ、両手と膝を打ちつけ、血がにじむ擦り傷で、それが翌朝目覚めて気がつく始末。ザラザラしている地球を、擦り傷で思い知った次第である。
ところで、暫定税率で政局は混迷しているが、主権者が怖がってはいけない。怖がらせるのは見識のない政治家達だ。
詩の風景 詩人の肖像