この激変する時代をどう生きていくのか。そんな不安に応えるキーワードとして「シェア」がある。わが貧弱な暮らしに目を向けてみても、余剰が満ち溢れている。新聞だが今までの惰性で4紙を購読しているが、チラシはすぐ屑籠に、読み終わった新聞はあっという間にうず高くなる。ひとり住まいでは寝室と書斎と食堂で十分に足りて、半分以上は空室で掃除機も年に一度くらい。車も反射神経の鈍ったこともあり、夜は控えるし、余計な運転はやらない。稼働率は平均2時間程度か。最大の余剰が読み終えた本である。もう所有する時代は終わった。人生の余白を生きるのに、大枚をはたく必要はない。そんな萎えた気持ちのところに、わくわくするような刺激本が現われた。「シェアをデザインする」(学芸出版社)。40歳前後の若手建築家たちが、シェアの未来をテーマに開いたシンポジュームをまとめている。
まずシェアな働き方だが、大手出版社を退職して、法人を個人で立ち上げ、フリーランスで働く女性からの報告である。これほど不透明な時代に、会社にしがみついていくことに強烈な疑問を感じ、ひとつの会社、ひとつの仕事、ひとつの肩書にとらわれないで多種多様な仕事をやっていこうと決めた。ソーシャルメディアを駆使して情報を発信し、仕事に結び付けている。「プレゼンはしない」「見積もりは取らない」「企画書は書かない」というスタイルで、とにかくリアルに仕事を作り出していく。ノマドワークスタイルと呼ぶ。ノマドは遊牧民という意味だが、牧草を見つけて転々とするように時代や市場の変化に合わせて、身軽に働き場所を見つけていく。新しい人や会社、情報に触れることによって、これまで生み出されることになかったアイデアの種を撒いていく感じで、鞄の商品企画、日本初のスマホ放送局、非常勤講師などをこなしている。企業からのスポンサードも増えている。何百万円もの広告費を掛けるよりも、発信力のある個人の方が説得力がある。今いる人材では、何にも出てこないのは目に見えている。余裕ができれば、シェアオフィス2個を東京と地方で掛け持ちするのもいい。とにかく自分という看板を強く磨いて、働く自由と住む自由を手にいれることだ。
不要本の始末のアイデアだが、渋谷でコワーキングスペースco-baを運営するツクルバがシェア型ライブラリをオープンさせた。会員が自分で所有している書籍などを持ち込み、お互いにシェアするというスペースだ。書棚に名前が明記されていて、貸し借りもそうだが本を媒介にして話やビジネスを弾ませる。
もし町内(200~300世帯)にこうしたスペースができればどうだろうか。もちろんカフェ機能がついていて、お茶や軽食を楽しみながら、新聞や、本はそこで読むことになる。カーシェアを導入すれば、運転免許証を返納した交通弱者には会員制の運転代行で買い物や通院が可能となる。シェア社会とは、ストックを活用する社会であり、何よりも自分で考えることが求められる。それは相手の気持ちを忖度することでもあり、もちろんノマドであるからには移動の自由があり、開かれた距離感が自然とそこには生まれて息苦しくはない。
古稀老人も人生の余白は、もう失うものはないという気楽さで、そのノマドワーキングに挑戦したい。加えて、シェア社会を生み出す起爆剤になる贈与に似たファンディング能力もある。もちろんクラウドでもいいのだが、顔の見える関係の方がいい。ノマドワークを合言葉に企業を飛び出した若者と、もうひと花を咲かせてみたい。
「シェアをデザインする」