リクルートと江副浩正。企業組織について

「こんなレベルの低い企画では勝てませんよ。これを見て下さい」と出されたのがカモメのマークのくっきりと印字された企画書。富山技術開発財団の応接室。北日本新聞で本格的に学生採用の企画を展開しようと意気込んでいた時期。その頃はどんな企業も採用活動に血眼になっていた。1986年だから15年前。はじめてリクルートがわが眼前に現れた。私が40歳、かの富山所長は30歳。井の中の蛙でいささかの自負もあったのだが、彼我の実力の差、意気込みの差は歴然としていた。到底太刀打ちできない。恥ずかしい話だが、これはモノマネの丸呑みしかないと思った。「リクルートの半分の料金で2倍の効果」と卑劣な手法を採用。売り上げは倍倍となり、5年後には数百万が5億に。しかし力が本物でないというのは悲しいかな、である。「失われた10年」を過ぎて、わが方は元の木阿弥となり、リクルートは2000年3月期で過去最高益を記録することに。売上高2808億、営業利益911億、経常利益845億。この数字は依然として江副リクルート神話が生き続けていることにほかならない。しかし、リクルートコスモスや、ファーストファイナンスの2社の膨大な借入金の処理にその利益が回され、残った当期利益は21億。これもリスクをきちんと取るリクルートの逞しさといえる。

ご存じ、リクルートは東京大学新聞社で広告のセールスアルバイトをしていた江副氏が大学新聞広告社としてスタートさせたもの。江副氏は語る。経営の組織論の常識では、百頭のライオンの群れより、一頭のライオンに率いられた百頭のヒツジの集団が強いとされる。でもその逆をいくのが、というよりいかざるを得なかったのがリクルート。さまざまなライオンを採用し、そのライオンたちが思い思いの仕事をしていこうというもの。このライオンの採用活動にかけるエネルギーがすごい。筆記試験にでかけ、辟易するほど面接を重ねたうえに、役員面接にも1時間以上かける。人材の獲得がすべてに最優先。それが結果として業績に出ている。その人材達の意識も、会社に入るということではなく、リクルートで何をするかということ。恐らく仕事も滅茶苦茶にするが、給与も日本最高水準だろう。アルバイトにもタクシーのチケットを渡し、働けるものは誰でも最高の能力を発揮させていく合理主義。格好だけの権威とは無関係、大学のクラブ活動の乗りである。そして何よりも貪欲。新入社員には飛び込み営業を課す。毎日70軒80軒。東大を出ていようと、どこをでていようと同じ。優秀な若者はそれでクサらないですかの質問に対し、「それぐらいでクサるような人材は採らないですから」。このライオンたちこそ利益の源泉。江副氏はドラッカーによく学んでいる。PC(プロフイットセンター)と称し、10人規模の組織を作り、そのトップに権限と責任を大胆に委譲。いわば社長である。まるでゲーム感覚で競わせる。現在の河野栄子社長はPC長時代、最優秀経営者賞を9回も受賞。51歳でリクルートの社長に就いている。そして純粋さ、稚気さを気恥ずかしがらずに経営に取り入れていっている。どうもこのあたりに秘訣が隠されているといえる。 またリクルートを去る人も多いが、去る者追わずで、おおらかだ。そこにしがみつくしかない人間の何倍も働く人間がいて、その人間を無理に囲い込まないシステム。そのことが社員のエネルギーを最大限に引き出していくという逆発想の不可思議さをリクルートは身に付けている。

竹下政権を崩壊させたリクルート事件、勿論その後遺症は癒えたわけではないが、どっこい生きている。

なぜだ。ここは一番じっくり考えてみるべきではなかろうか。

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