台湾に蘭嶼(らんしょ)島という小さな島がある。フィリピンのルソン島に近い。この島が台湾原発の核廃棄物の処分場となっている。魚の缶詰工場を建設するという触れ込みで土地が買収された。1982年から住民に知らせずに貯蔵が始まり、住民の激しい抗議でストップするまで、ドラム缶約9万8千本の低レベル核廃棄物が島に搬入されて、現在も貯蔵されている。政府と台湾電力は、補助金や電力料金無償化、奨学金支給などで抵抗を抑えてきた。ところがドラム缶の腐食が進み、放射能漏れが発生し、土壌の汚染と子供の障害などが指摘されている。
わが国ではどうか。茂木経産相は27日、30年代に原発稼働ゼロにする前政権の方針は「再検討が必要」と述べ、原発ゼロ目標を見直す方針を明言し、使用済み核燃料を再処理する核燃料サイクル政策は「完全に放棄する選択肢はない」としている。同じような愚をまた繰り返すとはこのこと。科学的な論理性を全く欠いている。ここは昨年9月に出された日本学術会議の高レベル放射性廃棄物についての回答書を読んでからだ。これは科学者の良心に沿うものと信じたい。
まず核燃料サイクル政策からの撤退を妥当としている。六ヶ所村の下に走る活断層存在の可能性は高い。次に高速増殖炉の実用化の見込みはまったく立っておらず、更なる継続は完全な浪費だといい切る。そのうえで、高レベル放射性廃棄物の処理策を3点にまとめているので紹介する。
ひとつは暫定保管である。暫定といっても数十年から数百年の想定だが、その期間を利用して、技術開発や科学的知見を得て、数万年単位の安全な隔離方法を獲得する。暫定保管の場所は各電力会社の圏域内に建設する。三村青森県知事が核燃料リサイクル政策を放棄するならば、六ヶ所村の再処理工場に集められた使用済み核燃料は各地の貯蔵プールに戻すというのは当然であり、東北電力を除き引き取るべきである。スェーデンもフィンランドもそうしている。ふたつ目は総量管理である。つまりこれ以上増やさないという上限の設定だ。各地の使用済み核燃料プールは既に満杯に近い、原発の稼動継続が不可能になるのは目に見えている。誰が考えても当然のことであろう。三つ目が多段階の意思決定である。最終処分場の立地点選定の前に、大局的な政策の方向や、重視すべき判断基準や対処原則について、段階的に合意を形成していこうというもの。暫定保管や総量規制などは立地選定にいたる段階で当然合意しておかねばならない。
この回答書を茂木経産相はどう読んだのか、まず明らかにすべきである。マスコミも然り、ただ垂れ流すのであれば同罪である。更にいえば、茂木経産相の栃木5区に暫定保管場所を設置することだ。そうでなければ誰も信用しない。
そして、仙石由人が1月18日「エネルギー・原子力大転換」(講談社)なるものを上梓した。民主党で最も注目していたのはこの男であった。徳島一区で強固な基盤を持つといわれたが、比例区での復活もならず惨敗である。落選後あわてて出したようで、散漫な内容にがっかり。脱原発を叫ぶだけのセンチメンタルは政治ではないと断じて、遠望する眼差しとプラグマティズムを掲げ、未来の理想を追い求めつつ、それを実現する、となぜか浪花節調である。山本義隆にも、その立論があまりにナイーブと否定する。記憶に残るとすれば、原発被害の賠償額についてである。弁護士ゆえに交通事故などから想像し、1世帯あたり1億円は下らないだろうと直感している。10万世帯ならざっくり10兆円である。企業存続のみを図る東電・勝俣会長とのやりとりも想像の範囲ないであった。プラグマティスト仙石の原発さばきは頓挫してしまった。
はてさて、良識と推進力を兼ね備えたプラットホームをどこに求めていくか。目を凝らしていかなければならない。
参照/北陸中日新聞1月8日「本音のコラム」鎌田慧。「世界」2月号「高レベル放射性廃棄物という難問への応答」舩橋春俊。「エネルギー・原子力大転換」(講談社)仙石由人。
蘭嶼島