半可通の農業への思いであるが、愚論であっても問題提起をしておきたい。どうやらこの選挙が農業政策の大きな分岐点になることは間違いない。米国との自由貿易協定(FTA)を巡って、民主党・小沢一郎と全中(全国農業協同組合中央会)との批判合戦が始まったが、これは大バトルの序章に過ぎない。お互いの組織存続を賭けた血みどろのものになると予測している。農協の断末魔をみるのか、国民監視の下で自己改革ができるのか、それとも不死鳥の如く既得権益をにぎり続けるのか。冷静に見守っていこう。
高い米価を維持するために減反をやり、1粒たりとも輸入できないほどの関税をかけて、罰則として77万トンもの輸入米を受け入れ、その横流し汚染米で犯罪にまで発展しているのが現状である。日本の農業を守るためにはこれを続けるしかないという自民党、農協の開き直りが問われている。
また一方で、自由貿易を一定容認し、戸別所得補償制度でもって、農地集約、自給率向上、担い手確保を実施していくというが、理論総論では分かるが実際に運用していくとなると、想像以上の困難が待ち受けている。死に物狂いで抵抗する農協に対抗する政治行政という構図となるのだが、大多数の兼業農家がこうした世論をどう判断し、受け入れていくかにかかっている。論議が煮詰まれば、来年の参院選の大きな争点にしてほしいものだ。
そんな頃合いを身計らうように、元農林官僚・山下一仁が警告の書を出した。「農協の大罪―農政トライアングルが招く日本の食糧不安」(宝島社新書)。内部告発の書でもある。
農協、農林族議員、農林官僚。これが農政トライアングルで、展望のない施策を繰り返し、日本の農業をダメにしているという。とりわけ農協は戦後農地改革で保守化した農家、農村を組織化し、自民党を支える強大な政治団体と化した。大多数の兼業農家に軸足を置き、その農外所得や、莫大な農地転用利益を預金として吸い上げ、農協が金融保険分野での巨大企業に変身を遂げているのは周知のこと。“農業”団体であるはずの農協が、農業を衰退させ、農業を犠牲にしながら発展するという奇妙な事態が生じていると指摘している。
日経が「ニッポンの農力―再生の方向」として、これまた26日、27日朝刊で連載した。地域ごとの改革プランが興味深い。北海道を夏季の食材供給基地として投資を加速させよ。東北北陸は米の比重が高く、農業政策転換の影響が最も受けやすい。関東関西周辺では大都市圏への食材供給のバックヤードとして、安全安心はもちろん、どのような食材がどの程度必要かなどの連携が必要。九州地区では秋から春にかけての食材、畜産物の供給の特性をもっと生かせ、などとしている。中央集権での画一的なものでは問題解決できないということだ。
また、平成検地を実施せよという論だ。何となく美化している農家像は誤りで、稲作を細々と続けながら真の狙いは農地の農外転用で “濡れ手に粟”の収入を目論む偽装農家だという。農地行政を行う農業委員会も、不適切な利用を地権者におもねるあまり、全く信用が置けない。農業の実像は、地権者エゴをむきだしにしたモンスターで、チェック機関も見て見ぬふりをする悪循環になっていると断罪する。平成の検地をするとなれば、戦後の農地解放の逆の意味で、土地利用の透明公正化を促す農地解放になるかもしれない。
何より肝に銘じておかねばならないのは、農地に適する保水、通気に優れた地表30センチの表土を育成するのに、数百年の時間を要するということだ。安易な減反政策は避けなければならない。
毎朝食べるご飯は、わが健康の源である。3人の孫達も米飯が大好きであり、ワーキングプアそのものの愚息達もわが方から送る米を何よりの命綱としている。一族、老幼取り混ぜて合計9人、月当たり35キロを消費しているが、これはひとり平均月6キロと同水準といっていい。定年を機会に農業に専念する友人から、その都度精米をしてもらう。グローバルな効率農業の対極に、町内ごとに消費と生産の小さなマーケットを重層的に重ねていくプランがあってもいいのだ。
農業政策の分岐点