朝鮮という文字を見るとつい反応してしまう。ノンフィクションライターの最相葉月が「中国朝鮮族の友と日本」を副題にして、「ナグネ」を岩波新書で上梓した。99年5月、西武新宿線小平駅のホームで電車の行き先を訊ねられた、いわば行きずりに知り合った中国朝鮮族の具恩恵(グ・ウネ)との交友を通じた中国、朝鮮が綴られている。身元保証人にもなり、ピンチの時にはカネも用立て、エネルギッシュな彼女を支えてきたが、そんなことを微塵も感じさせない友情が芽生えている。大上段に構えない草の根の日中韓交流がとても心地いい。
最近、書店を変えた。週1回の大和百貨店7階の紀伊國屋を楽しんでいたのだが、ある時BOOKSなかだ本店を訪ねた。きっかけは文春文庫「鼠」がそこだけに在庫があったからだが、書籍の絶妙の陳列に手錬れの店員がいると見て取れた。郊外ということもあり、駐車で苦労することもない。メモを渡すとすぐに探し出してくれるのもいい。そういえば、40年前の中田書店を思い出した。富山市中心部の中央通りにあり、茶の木屋とも称していて、亡き千石昭一社長が精力的に指揮を取っていた。富山の御三家といえば清明堂、瀬川書店、中田書店で、特にこの春先は教科書、参考書を求める学生達で大賑わいだった。昔日の夢である。
「ナグネ」は旅人の意である。恩恵の故郷は黒龍江省ハルビンだが、都心から遠く離れた小さな村のプロテスタント系の地下教会をある大きな家だ。そこへ恩恵の里帰りについっていったのが書き出しで、中国の宗教政策、土地住宅政策を垣間見ることができる。旅人という意味は歴史に翻弄される朝鮮族の漂流を指している。中国東北部への朝鮮族の移住は日本の朝鮮殖民地化、満州国の統治を機会に急増している。鴨緑江に築かれた巨大な水豊ダムでの立ち退きで7万人が極寒の地に強制的に移住させられなどして、07年に7万人だったのが、43年には141万人になった。日本の敗戦も解放へと向かわず、朝鮮戦争による南北分断で韓国との往来は絶たれてしまう事態となり、加えて中華人民共和国成立による朝鮮族の自治も、文化大革命によって共産党への忠誠、朝鮮語の禁止、朝鮮族学校の閉鎖などが行われて、窒息しそうな時期を送らねばならなかった。
それが90年代の半ば頃から、経済成長著しい韓国への不法移住が始まり、92年の中韓国交回復が拍車を掛け、12年の統計で在韓中国朝鮮族は23万人に達している。更なる潮流は中国の経済成長で、特に97年のアジア通貨危機に陥りIMF管理下に入った韓国企業は次々と中国に進出し、北京、上海でのそうした企業からの求人が急増し、ハングルと中国語が話せる人材として中国朝鮮族の若い人たちが大挙して大移動したのである。恩恵の実家周辺のコミュニティは解体されて、寒々としたものになっている。
そんな経緯を日本で必死に頑張る恩恵との交流を、最相葉月の豊かな感性で綴っている。しかし、このさわやかな読後を壊してしまう、何とも恥ずかしい日本の政治の堕落を見せ付けられることになった。
ひとつは3月31日の首相官邸だが、「聞いていた話と違うじゃないか。君たちは、いったい何処から情報を取っていたんだ」とアベクンは財務省と外務省の高官を前に怒鳴りつけたという。中国のAIIBで、日本が取り残されたしまったことを受けてのものだが、日本を取り戻したいという馬鹿げたメッセージに官僚が迎合した結果である。
もうひとつは菅官房長官の沖縄訪問だが、アベクンの欺瞞をこれほど明らかにした対談はない。翁長知事のいう、奪われた側の沖縄が代替施設を提供しなければ普天間は返還されないという馬鹿げた論理は政治の堕落だ、はその通りというしかないだろう。沖縄の民意がこれほど辺野古に反対しているのに、強行して基地機能が機能するとは思えない。
これを機会に、そろそろ眼を覚まさなければならない。
「ナグネ」